空が空を見ている。
空(犬)はシャイなので、ふだんはそばにいないのだけど、突然トコトコ歩いてきて、じっーーと上目遣いで見つめてくる。ふだんはシャイなのに、この場合は絶対に目をそらさない。だから、あ、散歩か、ごはんかな、とわかる。そして行動する。犬は言葉を使えないけど、念動力(Telekinesis)が使える。意思の力だけで、物体(私)を動かしている。
この力の発動は、対象(私)との目に見えない関係において成り立つ。(私)が念に気づかなければ、力は生まれていない。念は思考を喚起させる。犬が見つめているな、と、ここまでは誰にでも受信できる。その後の思考力が、現象を誘い出す。それは犬の力でもあるし、同時に(私)の力でもある。この関係を「約束」と呼ぶことにする。捨て犬と私には、出逢ったときにこの約束が成立している。わかりあえなくても、その約束という場のなかで、流通する力がある。約束だけでは力は生まれないけど、約束という場で働く思考の自由は、エネルギーを外的世界に変位させる。
言葉によって規定されてしまった世界は、言葉を使えない。だから常に念を送っていて、約束が結ばれて、思考によってエネルギーが生まれるのを待っている状態だと言える(色即是空)。近すぎて見えないけど、心とからだも約束をしている(空即是色)。
空(犬)はシャイなので、ふだんはそばにいないのだけど、突然トコトコ歩いてきて、じっーーと上目遣いで見つめてくる。ふだんはシャイなのに、この場合は絶対に目をそらさない。だから、あ、散歩か、ごはんかな、とわかる。そして行動する。犬は言葉を使えないけど、念動力(Telekinesis)が使える。意思の力だけで、物体(私)を動かしている。
この力の発動は、対象(私)との目に見えない関係において成り立つ。(私)が念に気づかなければ、力は生まれていない。念は思考を喚起させる。犬が見つめているな、と、ここまでは誰にでも受信できる。その後の思考力が、現象を誘い出す。それは犬の力でもあるし、同時に(私)の力でもある。この関係を「約束」と呼ぶことにする。捨て犬と私には、出逢ったときにこの約束が成立している。わかりあえなくても、その約束という場のなかで、流通する力がある。約束だけでは力は生まれないけど、約束という場で働く思考の自由は、エネルギーを外的世界に変位させる。
言葉によって規定されてしまった世界は、言葉を使えない。だから常に念を送っていて、約束が結ばれて、思考によってエネルギーが生まれるのを待っている状態だと言える(色即是空)。近すぎて見えないけど、心とからだも約束をしている(空即是色)。
数日後、ちょっとしたアクシデントで左下眼瞼を挫滅、涙小管が断裂したの
大病院のような異空に突然ほおりこまれると、自分がなにものかな ど、どうでもよくなってくる。世界と寸断されたような気がしてい て、それで残された右目で、山ばかり見ていた。山はなにも言わな いけど、心を落ち着かせてくれた。山の下で移動する車や人が、蟻の営みのよう に見えた。山は不動だった。そのまま泥のように眠った。目が覚め ると、左目の視界が回復していた。両目が使えるだけで、遠近法が 立ちあがる。山がぐぐっと近づいてきて、森に抱かれているような 気がした。自分にだけは嘘をつくなよ、と言われているような気が した。正直に生きろよと、耳元で囁かれたような気がしていた。
左目に涙がたまる。
ERの人に左下眼瞼を縫うのはすぐにでもできるけど、切れた涙小 管がふさがってしまい、左目からだけ勝手に涙が出るよと言われて 、入院がどうしてもいやだったので、別にそれでもいいので縫って くださいと言ったけど、まだ若いからと断られた。振り返ると、医 師の言うとおりにしてよかった。いまは糸が入っていて、涙が出口 を失っているので、悲しくもないのに、左目に涙がたまる。私の 意志とは関係なくたまる涙の意味とは、「私」が悲しみを見ている のではなくて、悲しみの方が「私」を見ているからだと思う。左目 は人知を超えるもの、大いなる存在(神即自然)の声を聞く右脳と 直結している。アクシデントにはそういう意味がある。
悲しみが私を見つめている opampogyakyena shinoshinonkarintsi
左目に涙がたまる。
ERの人に左下眼瞼を縫うのはすぐにでもできるけど、切れた涙小
悲しみが私を見つめている opampogyakyena shinoshinonkarintsi
悲しみが私をじっと見つめている ogakyena kabako shinoshinonkarintsi
(マチゲンガ語) バルガス・リョサ「密林の語り部」より
悲しくさせるものを見て流す涙は、こちらの意思が関与している。 泣きたくて泣いている。そういうものではなくて、「私」が関与せ ずに、たまる涙がある。遠くの山を見ていて、なんだかよくわから ないのに、ふと泣けてくる。これは年をとったからではなくて、世 界の感じ方が変わったからだと思う。言い換えると、子どものころ に持っていた内なる自然を取り戻したから。自分に素直になると、 大いなる意思の方から、私にむかって響きかけてくれる。古典芸能 から読み取れるように、太古の人は、この声を聞く力を持っていた 。大いなる意思に導かれていれば、「私」など必要がなかった。私 の声(私が私に命令する)を持つようになってから、大いなる声と 混同して、奢り、自分もその一部である自然を支配しようとして、 堕落した。混乱を立て直すには、まずはありのままの自然に対する 敬意から、すべてをはじめないといけないのだと思う。
また空が空を見つめている。
悲しくさせるものを見て流す涙は、こちらの意思が関与している。
また空が空を見つめている。
空が空をじっと見つめている。
涙がたまっているように見えたのは、気のせいだろうか。