2026/10/03

kyrie (キリエ)



























kyrie (キリエ)

all painting of chorale-settings

2026/4/27~2026/8/28

gallery under the bridge



kyrie (キリエ)とは「主よ」の意味、もとはギリシア語「Kyrie eleison(主よ、あわれみたまえ)」に由来する。クラシック音楽ではミサ曲の最初の楽章名としてこの「Kyrie」が使われている。


kamuy(カムイ)






追記 

kyrieの撮影最終日、この写真には映っていないけど、太陽を覆った雲の右側に白い光が現れた。最初は金星か飛行機かな?と思っていた。しかししばらくすると小刻みに揺れてから雲の後ろに消えてしまった。


いわゆる未確認飛行物体(UFO)だろう。それらしきものは何度か見たことあるけど、はっきりと確信できたのははじめてだった。あわてて持っていたカメラを向けたけど、再び現れることはなかった。というか、実際それが起きているときは、とにかく見逃さないようにすることに集中していて、撮影しようなんて思わない。それ(it)は再現不能で、曇りのない眼にしか映らない個人的な体験なのだと思う。

一枚だけ額装に時間がかかってしまって、最後に撮影したのがマリアさまが天から見下ろして魂を浄化しているこの絵。きっと「主よ(kyrie)」というこちらからの切実な呼びかけに、高次元の存在が応答してくれたのだろう。



∞
 

2025/10/23

霊言


人手が足りないからと頼まれて神輿を担いできた。自宅から近く古くて静かでとてもいい神社。でも十年以上住んでいて声をかけられたのは初めて。なにかあるのかなと思っていた。

神気が入ったのか、終わった後も身体が軽くなったみたいでぜんぜん疲れてない。翌日も肩が少し凝ってる程度で、体調がすこぶる良いのが不思議だった。

翌々日の夜、夢の中で『もっと高みへ』と霊言を受けた。

もっと高みへ、もっと高みへ、もっと高みへ…

静かで優しい声で夢の外からそう繰り返して、だんだん聞こえなくなって消えた。声の響き方が鈴の音のようでとても印象的だった。今回は男性の声だった。霊言は年に一度あるかないか、滅多にはない特別なものだ。

この数年で一番心に残っている霊言は『あなたの絵はあなたのものではない』という言葉。女性の声だったからマリアとか天使の類だろう。では絵は誰のものか?という答えは、既に自分の中にある。

抑圧された無意識の声(自分の影)と霊言との違いは、後者はあきらかに自分の外から聞こえること。感覚的にはかなり遠い上の方の場所で、夢の外から異界(他界)の声として響いてくる。その言葉は栞のように心に残って、いい意味で忘れられなくなる。

道元は坐禅をしているときにもし菩薩や如来が出てきたら、イメージの中で槍を持って突き殺せと、わざと強い表現で説いている。ユングも魂の膨張は狂気の緩和された形であり、自己と同一化するのを避けるよう忠告している。精神科医としての適切なアドバイスだと思う。例外はあるかもしれないが、幻聴は心の病だから。

自分もいわゆるお告げは信じない。そのほとんどは肥大した自意識に取り憑いた亡霊、悟りを開いたと錯覚させる魔物だから。内なる声は自分の声。シビアにそう考えてから、深く静かに無意識に潜って神に繋がる方が健全だと思う。

霊言は神のお告げとは違う。稀に自分の外から来て、本人にしかわからないような短い示唆(間接的にそれとなく示し教えること)で、愛と勇気を与えてくれるもの。

概念としてもっとも近いのは、折口信夫の提唱したマレビト。稀に来る外部からの客神。今回は神事に参加したことが影響したのかもしれない。


 

2025/04/07

空の生き方


空(くう)を送る日、天気が良く、とても気持ちの良い朝だった。やわらかい風に吹かれて、桜の花びらが青い空に広がって大空を舞っていた。
火葬業者の車に収まった顔の上に、その花びらの一枚を乗せて感謝を告げた。

…

2025年4月6日、空(くう)が永眠した。

その日は朝から一人で桜を見に行った。満開だったが、ときおり吹くつめたい風に桜の花びらが散りはじめていた。

一枚だけ蜘蛛の糸に引っかかって空中に浮いていた花びらが妙に気になった。その花びらだけは重力に逆らっていて、けして落ちない。まるでそこだけ時間が止まったように、宙に浮かんだ異次元のように見えた。

昼前には帰宅、空は白目がちで寝ていることがよくあるので、最近はいつも息をしているかどうか確認していた。

その日は横に倒れているのではなく、犬らしく丸くなっていて、目もはっきりと開いて遠い目をしていた。

水は飲んでくれなかったが、呼吸はしているし顔が明るい。(今日は調子が良い日だな)と安心して洗濯場にこもって植物の植え替え作業をしていた。

2時間後ぐらいだったと思う、空のお腹が動いていなかったのに気づいた。生き生きと目を見開いていて、今にも動きそうで、まるでその空間だけ時間が止まったように思えた。すぐには信じられなかった。生きているように死んでいた。

急に空が暗くなって、湿った風が吹いてきたと思ったら、雨が降りはじめた。その雨は夜中まで続いた。

…

空は去年の夏に衰弱して、かなり危なくて覚悟していたが奇跡的に復活した。それからはオムツが欠かせなくなり、足腰も急に弱った。顔が変わらないし保護犬なので正確な年はわからないけど、寿命を超えて生きてくれているような気がしていた。

散歩ができるのは今日が最後かもしれない、そういう愛おしい日々を重ねて厳しい冬を越えた。

3月中頃から身体が思うように動かなくてもどかしそうにしていた。食事も散歩もままならないんだけど、それでも矜持があって心配かけるのが嫌なのか、自力で立ち上がろうとする。犬はこういうところが美しいと思う。

4月に入ってから、自力で歩けないので歩行器を作った。寄せ集めのブリコラージュだけど、2、3回は頑張って使ってくれた。この頃には食事や水も無理やり流しこんでいた。今思うと、相当無理をさせていたんだと思う。でも寝たきりより、少しでも筋肉を動かしたり、外に出て気分転換をさせたかった。外に出ると虚ろだった目が生気を帯びることがあったから。

この頃には夜鳴きがはじまっていた。どこか痛いとか苦しいというよりも、抑えきれずに鳴り響く魂の叫びのように、ただ悲しそうで、せつなかった。まるで狼の遠吠えのようだなと思った。そして疲れ切っているのではないだろうかと感じた。

もう充分に頑張ってくれたから楽になってほしい、でも一日でも長く生きてほしいという、相反する感情に胸を掴まれていた。こういうことは看取ったことがある人はよくわかるんじゃないかと思う。それはもう人と動物という関係ではなく、純粋な生命の交流であり、言葉を離れた世界での魂との対話、それは芸術の領域にほど近い。


空が亡くなった夜に平気な顔で絵を描いてる自分が怖かった。でも空は死を待っているような生き方ではなく、死を恐れずに前を向いて生命を燃やし尽くした。そうでなければ、しばらく気がつかないような生き生きとした元気な顔をしない。彼は最後の力を振り絞って、時間を止めた。

自分は薄情な人間だけど、飼い主のエゴに付き合って歩いてくれた日々は忘れないし、時間を止めてまで空が示してくれた生き方に従う。それが彼との約束だから。

たくさんの思い出をありがとう。




2024/07/22

the end of the world

2024年7月19日、陽射しに強いエネルギーを感じたので映色実験をはじめた。水晶や無意識の海、双龍、butterfly effect、一通り試してみたが、他の全ての作品はうまく映色してくれないのに、この世の果てだけは息を飲むような虹色が出てくる。なにかあるなと感じて実験を重ねていた。

そして7月21日、この世の果てから凄まじいエネルギーが流れてきた。あきらかに今までとは違う。





その夜は満月だった。静かだけど荘厳で、キラキラと輝いて見えた。

2024年7月21日は山羊座の満月。かつてアメリカ先住民は、雄鹿の象徴である角が生え変わる時期にちなんで「バックムーン(牡鹿月)」と呼んでいたらしい。

「生まれ変わり」「復活のパワー」が秘められているという。

まったく知らなかったが、そう教えてもらった。いつもそうだが、後から教えてもらってハッとする。

自分は1月生まれの山羊座、そしてまさに今、画集の出版と展示を控えていて、家には白い角を持つ雄鹿(牡鹿)の絵で溢れている。

展示は自分にとっては個展というより儀式のようなもので、山から生まれた精霊を海に帰すセレモニーの意味がある(だから海に近いギャラリーを選んだ)。本の編集に時間がかかっていたのと、猛暑というのを考慮して9月にずらしたけど、最初はちょうど今くらいの時期に展示したいなと思っていた。

そしてこの精霊の森シリーズの最期に現れたイマージュが、この世の果て、the end of the world。これはまったく想定していなかった展開なので、自分でも不思議だった。洞窟に眠る白い狼が、夢の中から白い光の玉を送ってきた。夜空に浮かぶ星のような球体、それは同時に、川面に煌めく太陽の光だった。昼と夜は時間(人間)という糸で繋がっている。

山から海を繋ぐ、川。その川面に映る太陽の光。すべてが点と線で繋がって、精霊は輪廻していく。

個人的には、今年と来年は節目の年という予感がある。それが個人的なものなのか、世界全体のことなのか、自分ではわからない。ただ言えるのは、バックムーン(牡鹿月)から送られてきたこの精霊の光には、復活のパワーが秘められている。






2024/05/19

この世の果て


川面に揺れる光の粒を見ていると、まるで自分を内側から眺めているような気持ちになる。

同時に内側から宇宙全体に意識が広がっていくような、不思議な気持ちにもなる。まるで降りてくると同時に浮上する精神の光。その小さな輝きの一瞬は、やがて大きな渦を描き、見えない世界から聖霊を呼び起こす。この光が見える場所を「この世の果て」と呼んでいる。

この世の果ては特定の場所を持たない。あえて言うとしたら自分の内奥。だから外側に探しても見つからない。自分探しをして旅に出ても、見つからないように。

でも見えない世界にピントを合わせていると、やがて向こうからそれは現れる。目を閉じて近づくように心を開いて、内から外を見上げるときはじめて、見えていなかった世界が見えてくる。


この世の果ては世界の終わりではなく、新しい宇宙への扉。

明滅を繰り返しては揺れ動き、螺旋(無限)を描いて宇宙の夜を浮遊する光とは、星屑から生まれた魂の破片。その光を拾い集めていれば、自分が創造主であることを思い出す。

この世の果てが見えたなら、自分が見たい世界を創ればよい。






2024/02/24

ワタリガラスと小さな狸

ある日の散歩道、お不動さんのそばにいつか見たコダヌキがいた。


ひどい皮膚病で動けない状態。既に死の気配を察した数羽のカラスが上空を飛んでいた。


まだ生きてるのでとりあえずシーツをかけたら、ちょっと起き上がってコクリと頷き、横になって動かなくなったので山に帰した。

最期の挨拶をしてくれたのか、抱き上げたとき、「キュン」と一言鳴いたのがとても印象的だった。



コダヌキと出会う数日前、絵の中にワタリガラスが出現した。この世界に光をもたらした恩人であり、人間を呼び出したのも彼だという。

前日には、剣山の頂上でワタリガラスが極楽鳥に化身する絵も描いていた。

うちの里山はカラスの姿を滅多に見ない。だから上空に舞うカラスの群れを見て、とても珍しく、また絵の世界と現実が曖昧になったような不思議を感じていた。

翌日の朝には白い布だけが残り、コダヌキはもういなかった。抱き上げて「キュン」と鳴いたそのとき、命は極楽鳥に抱かれていたのだろうと思う。



その夜、極楽鳥たちが楽しそうにガジュマルの森を舞う絵を描いた。なにか新しい神話がはじまったような気がした。

アラスカのような広大な森ではないけど、この小さな里山にも宇宙がある。創造と直感はそこから流れてきて神話を描く。

神話=魂のコード。

魂は永遠を求めて宇宙を輪舞している。