『永久の未完成、これ完成である』 宮沢賢治 農民芸術概論綱要より
制作途中の絵を持って、ひさしぶ
りに森に入ったら、ずいぶん光の
印象が違っていた。季節が変わっ
たので、土や葉の雰囲気も変わっ
ていて、全体のニュアンスが以前
と違う。どうしようか迷ったのだ
けど、既に其処にある印象のまま
に、大幅に色を修正(補正)した
。夏と秋の光が混合してしまって
、画面も荒く不安定になったのだ
けど、不思議と違和感はなく、絵
が再生したような気がした。
直接目で見て描いてみると、季節
で変わる光の印象が、ただ見て感
じているだけよりも、身体を通し
てよくわかる。冬の光もまた違う
のだろう。その度に描き直してい
たら、いつまでも完成しない。だ
けど、かつて見た光より、いま目
の前に受けている印象が強ければ
、自然に従うしかない。絵のなか
で季節が変わったのは、自分しか
知らないけれど、それはそれでい
いじゃないか。
この森は原生林ではないけど、銀河を包む透明な意志によって、結界がかかっている。この森に
重なったある条件のおかげで、地元の人や旅人を寄
せつけないし、簡単には侵入でき
ない。色と光とを通して、この森
が誰かに打ち明けようとしている
秘密は、ただ表面をコピーしても
、他の誰にも伝わらない。
世界の秘密を暴こうとしたり、事
物の本質を表現しようとすると、
モチーフはすっと逃げていくのだ
けど、上手く表現できなくてもい
いから、色や光を通して、自然が
打ち明けようとしていることに、
ただ耳をすまして、身体を預けて
いると、離れて様子を伺っていた
自然が、向こうからやってきてく
れる。
綺麗な写真を何枚撮っても、この
森が色と光を通して、開示しよう
としている情報は、誰にも伝わら
ない気がする。でも描いていると
、少なくとも自分には伝わってく
る。眼の感覚を通して、自然が自
己を現しているのだと思う。