彼岸花が満開になった。うちの周りはなぜだか白
が多い。白い彼岸花の花言葉は「
想うはあなた一人」「また会う日
を楽しみに」。
ある日、誰かに根こそぎ持っていかれたら
しく、散歩道のすべての白い彼岸
花があった場所には、いくつもの
穴が開いていた。花は自分で移動
することができないから、人間を
誘惑して、もっと広い場所に引っ
越したのだろう。
すこし寂しいのだけど、国道から
は見えない、急な坂道のてっぺん
にある小さな野原の、白い彼岸花
だけは無事だった。目立たない場
所でこっそり咲いていた花々は、
止まることのない川の流れを見下
ろしている。国道からは見えないこの場所なら
、花は安心して咲くことができる
。小高い山路の白い花々の佇まい
には、土地神さまに選ばれたよう
な特別な雰囲気がある。
誰からも見えないようなキラキラ
した場所に、内なる花は咲き、精
霊は宿る。白い彼岸花が咲く頃だ
けは、いつもの散歩道を延長して
、この坂道を登ることにしようか
。
「人間の進歩にとって特別重要なのは、畏敬の感情を持つことである」rudolf steiner
暑い日は頭がぼぉっとして制作が
はかどらないけれど、ギラギラし
た山川草木から霊感を預かること
ができる。ヒグラシの波が夢と現
実の境目を消すと、彼岸から思い
出が歩いてくる。
どうやらコオロギが家に迷いこん
でいるらしく、暗くなると鳴きは
じめる。淋しそうなので逃してや
りたいのだけど、どこにいるのか
よくわからない。何処にあるのか
よくわからないような記憶が、真
夜中を淋淋と歩いている。
ある日、いつもの瀧の入り口に、東
京ナンバーの車があった。道中で
なんとなく感じていたイメージが
、的中した。瀧の手前の巨石の下
で、家族がピクニックをしている
。水着の子供がスイカを食べてい
る。たぶん泳いだあとだろう。い
つも手を合わせている瀧壺の前に
は、派手な浮き輪が重ねておいて
ある。楽しそうにスイカを食べて
いるその岩場は、以前、崖が崩れ
た場所のすぐそばだった。
場所には雰囲気というものがあり
、土地にはそれぞれのカミサマが
宿っている。行者が瀧に打たれた
り、お不動さんが怖い顔をしてい
るのには理由がある。この瀧壺に
は、命を預けている人しか入って
はいけないような神聖な気配があ
る。それがこの家族にはわからな
いのだろうか。自分のことだけし
か見えてない。気持ちよく泳げる
場所ならここに来るまでにたくさ
んあるのに、計画を変更できない
。目的に縛られている。
よくもまあこんな美しい場所で、
浮き輪で泳いでスイカ食べてなん
て発想が出てきたなと思う。一目
惚れしてしまって、なんどもなん
ども数えきれないほど通いつめて
、そうやって大切に育ててきた瀧
との絆が、遠方からやってきた無
神経に汚されたような気がして、
夏休みだからまあいいじゃないか
とは、思えなかった。
頭に血が昇っているから、腹を立
てたわけじゃない。同じ人間だか
ら哀しかった。遠方から美しい場
所を求めて余暇を過ごすのは、ほ
んとうに素晴らしいことだと思う
。ただ視点が一方向だと思う。自
分が、自然を、見ている。だから
霊性から切り離されて、目に見え
ないことに気づけない。
地盤が脆いこと、谷が深いこと、
流れが強いこと、すぐそばでマム
シが生活していること、子供が泳
ぐには危険が多すぎること。霊性
が途切れると、そういう周りの機
微を、感じることができなくなる
。だけど瀧は自分だけのものじゃな
いのだから、長居をせずに山を下
りた。
山を下りながら、そこはかとなく
哀しい気持ちになっていたら、そ
んな小さなことを気にするなと、
水の精霊に話しかけられたような
気がした。この声は、おまえにし
か聞こえないから。と精霊は言っ
た。かつてこの瀧で心身を清めた
行者や、水を飲みに来た獣なら、
この沈黙が聞こえたのかもしれな
い。