3/10
水晶のプリント実験をしようと思って、和紙の整理をしていたら、使い切っていたと思っていた廃盤の和紙が数枚だけ出てきた。さっそく昨夜の雨で実験したら、美しいブルーが浮かんできてびっくり。
「僕はまだ、どうすれば自分が風になれるのかわかりません」と少年は同じことを繰り返した。
「わしがおまえに言ったことを憶えておきなさい。世界は、神の、目に見える側面にすぎない。そして、錬金術とは、魂の完全性を物質界にもたらすことなのだ」
パウロ・コエーリョ著『アルケミスト』より
反転印刷した水晶も実験してみた。繊細だけど、透き通ったブルーがゆっくり浮かんできた。この和紙は製造元にも在庫がないことを確認したし、もう二度と再現できない。一期一会。だからこそ、この人知を超えた美しい偶然を、大切に思う。
3/11
UV防止スプレーとニスをかけて天日干し。なにか思い出すような色だなぁと考えていたら、ラブラドライトだと気がついた。水晶の家にラブラドライトの光。もし魂(霊感)にカタチがあったら、こういうふうに見えるだろうな。
原画を超えていて、もはや絵とは思えない。雨水に浸しただけで、自然にこんな色になるなんて。あまりに綺麗なので全作品をデータ保存しておこうと思ったのだけど、拒否されているらしく、スキャナーでもカメラ撮影でも微妙な色が飛んで、質感が映らない。ただし、接写(虫の眼)だと本質に近づく。
霊性が外に向かって放射していく生命の樹とは違って、機械の目を拒否するこの水晶には、内に秘めた魂の輝きがある。自己矛盾しているのだけど、誰にも見せずに、こっそりと眺めていたいような甘い誘惑がある。自分の作品(原画)なら恥ずかしくて褒められないけど、この水晶は違う。無意識に従っているだけで、自分ではなにもしていない。描いたのは自分ではなく、自然。自動書記(チャネリング)のように宇宙から与えられた美に関しては、人間には言語化して翻訳する義務が発生する。
水晶の絵をprintする実験は、以前から何度も何度も繰り返していた。でもいつもうまくいかず、和紙と水晶は相性がよくないのだろうなと諦めていた。だから真っ白な和紙から自然に色が生まれたときは驚いた。虫の眼になって、それが彼方と此方を結ぶ架け橋だとわかった。その虹がかかっている場所を、個人的な体験で、これ以上深く表現するのは、難しいなと思っていた。でも人知を超えた美しい偶然が、本人の見知らぬ場所でも再現されているなら、その虹は原始心象にかかっている。内なる宇宙には、意識の感応を物質世界にまで伝える、力と波とリズムがある。
縁の汚れが気になるので、マット(窓)を作って額装することに。一から額を作るのは厳しいので、既製額をすこし改造。壁に飾れるように吊り金具をつけて、作品の大きさに合わせてマットを自作。絵が引き締まっていい感じに。木とガラスに守られて、やっと落ちついてきた感じ。
3/20
今日は素晴らしい一日。朝から山越えして別件の和紙を買いに行ったら、大量の和紙に混じって、廃盤になったはずのアウトレット和紙そっくりの紙があった。でも廃盤で在庫もないとメールで確認したはずなので店員に聞いたら、その和紙だけは名前もナンバーもなくて、よくわからないとのこと。たぶん種類が大量にありすぎて(100種類以上)、店員さんもよくわからずに混じっていたのだと思う。でもほんとうに探していた和紙か試してみないとわからないので、在庫限りの3セットのうち、1セットだけ買って家で試したら、ほぼ同じ結果が出た。他の水晶の絵も試してみたけど、条件が同じでも、なぜか綺麗に色が出てこない。どうやらカタチに色が宿っているらしい。
そもそもこの水晶印刷実験そのものが、あるはずがないと思っていた最後の廃盤和紙が、なぜか別の袋に入って残っていた(なぜそんなことをしていたのか記憶にない)ことから始まった。この和紙以外では、奇跡が起こらない。だから毎回これが最後という緊張感があった。それがいい結果を生んだのだと思う。
個人的すぎて、こうして文章にしても、誰にも臨場感は伝わらないのかもしれない。でもまさかまさかの連続で、なにかに導かれて、作らされたとしか思えない。今日、2020年3月20日はマヤ暦とインド歴の終わりで、人類滅亡などと騒がれているが、滅亡どころか、再生の日に違いない。終わりではなく、始まる。この世の終わりと始まりに、水晶はカミの上に再来した。
『少年はクリスタル職人のことを思った。彼は「おまえにとって、クリスタルを磨くことは、否定的な考えから自分を自由にすることなのだよ」と言った。少年はますます、錬金術は日常の生活の中で学ぶことができると確信した』
3/21
水晶がすごいポテンシャル。朝から実験しているけど、翡翠のようなエメラルドグリーンしか出てこない。これはこれで美しい。昨日は赤が強く出ていた。条件が同じなのに、毎回違う結果が出るのが楽しい。なにか計り知れない力が作用していて、霊界(いまここ)で、光と闇がせめぎ合っているのが目に見えてわかる。
午後からの実験。まったく条件が同じなのに、すべて抜け殻のようになっていて、見事に一枚も魂が入っていない失敗作。入ったのは昨日の試し刷りだけ。ただし午前中の作品だけはすごい。たぶん水晶に入っていた魂が、最後に燃え尽きる一瞬を目撃したのだろう。見た目はほとんど同じでも、カミに魂(霊)が入ってるかどうかはよくわかる。たぶんこれ以上実験を繰り返しても、奇跡は起こらない。それはがっかりすることではなく、実は作品に生命が宿っていた証であり、素晴らしいこと。「宝物は流れる水の力によっと姿を現し、また同じ流れによって姿を隠す」のだから。
右が今日の午前で、左が午後の実験結果。紙、プリンターの設定、インクの残量、雨水、水に浸す時間、光の当て方、条件がすべて同じなのに、この違い。つまり浮かんでくるのは、色に変換された霊的ポテンシャルであり、心の中の色彩。シュタイナーの色彩論によると、青は殻を作り、内に輝く魂の輝き。まさに水晶はそれであった。そこに霊と生命の輝きが加わり、死せる像である緑に充満して、内光が殻を破った。偶然にもお彼岸、魂が還ってくるその日に。
3/22
クリスタルの作品を誰でも購入できるようにprint作品に入れようと思っていたのだけど、自然に浮かんでくる色なので、出来上がりにムラがあって、納得できるものが少ない。それで昨日失敗した作品の上に、プリンターのインクを水で薄めて筆で加筆してみたら、すごくザワザワして、嫌な胸騒ぎがした。結論から言うと、加筆はうまくいった。他人が見れば、最初に出来た作品と、見分けがつかないだろう。でも嫌な胸騒ぎが止まらない。この作品の色彩は、自然が描いたから価値があり、美しい。つまり自分で後から手を加えることは、真実を歪めることであり、自分で自分に嘘をつくことになる。
自分で自分に嘘をつくと、内側から魂が歪んでいく。この歪みを放置していると、自分に嘘をついて生きていることすら、わからなくなる。たとえば山でこっそりゴミを捨てようとすると、この胸騒ぎが起きる。誰も見ていなくても、内側から真実が見ている。誰も見ていないからこそ、全てを見られている。
魂が歪んでいくのを放置していると、実際に身体にも症状が現れ、その歪みが大きくなると、世界全体にも症状が現れる。それは外部を治療しても治らない。内面から歪みに気づいたら、外部に閉じこめられた「わたし」を、大いなる流れの方に解放してあげた方がいい。その流れに満たされた個人の魂の回復は、世界全体の歪みを修復する。
嫌な胸騒ぎを感じたなら、胸騒ぎをしている方ではなく、それを感じている「わたし」の中に自然があり、真実がある。その真実を妬む世界に、魂を盗まれたとしても、恐れることはない。世界から魂を取り戻すまでもなく、その真実は「あなた」がいる限り、けして「わたし」から消えたりしないのだから。
3/26
店頭に紛れこんだ残りのアウトレット和紙を買いに和紙屋さんへ。誰も買うはずがないので、残り2セットを買い占めた。マスクや食料ではないので、罪悪感はまったくない。むしろ紙が喜んでいるらしく、幸福感に満たされていた。この紙だけ名前がついていなかったので、易紙(えきがみ)と名づけた。ちょうど易紙を手にとって見ているときに、突然店内に犬が入ってきた。ピートという名前のグレーの室内犬で、足下にまとわりついて離れない。これはサインだなとすぐに気がついた。「前兆に気がつくようになるのだよ。そして、それに従って行きなさい」と王様は言ったのだ。
新型コロナウイルスを巡るニュースを見ていて、なぜ突然なくなったはずの易紙が現れて、水晶に内に秘められた色彩が宿り、そしてなぜこの世の終わりと始まりに水晶が再来し、破水したのか、わかったような気がした。なぜ自然はウイルスを作り出したのか。易紙は人知を超えた美しい偶然を装って、この状況を予言していた。
自然は人間と新しく霊的な関係を結ぶために、混沌と機能停止を作り出す必要に迫られていたのだろう。その空白に新しい創造の力を産み出すために、水晶は自らの殻を破って破水した。なぜ自然(あなた)はウイルスを作り出したのか?と考えるとき、その自然は外側ではなく「わたし」の中に輝いている。その輝きを世界に取り戻すために、「あなた」の中に在る水晶を探して、内に秘められていた色彩は放射した。この世の終わりと始まりに。
※この作品はshopから購入可能です。