河原でよく蝶の群れを見る。二匹か三匹、あるいは群れで、くるくるとダンスを踊るように舞っている。近づいても気づかない。このまま虫取り網を下ろしたら簡単に捕まえられそうな距離だけど、そんなものは持っていないし、手に入れたいとも思わない。彼らの生活に踏み込まずに、そっと見ている(見られている)関係だからこそ、愛おしくて美しい。
『メンデルスゾーンを初めとする人々(われわれの学長も彼らの弟子になるわけですが)は、チョウを採集するようにして美を捕まえ、これに関心を持っている人々に見せるために、ピンで留めておこうとしていました。その試みは一応は成功しました。しかしそれは所詮チョウの採集にすぎません。かわいそうなチョウは捕獲網のなかでもがいたために、このうえもなく美しい色彩を削ぎ落してしまっているでしょうし、また仮に無傷のまま捕まえることができたとしても、結局は固くこわばった生命のない姿となって、ピンで留められてしまうのです。死んだチョウはチョウそのものではありません。何かがまだそこには欠けています。何か肝腎なものが。それこそはこの場合においても他の場合においても、肝腎要のものです。すなわちそれは、万物を美しくしてくれる霊と言うべき生命なのです。(ゲーテ〔ヘッツラー弟宛書簡の草稿、1770年7月14日〕より抜粋)』
子どものころ、青く美しい、一匹の蝶の標本を持っていた。たしかブラジルの蝶だったと思う。どうやって手に入れたのか、または誰にもらったのか、そういうことは忘れてしまったけど、そのメタリックブルーの羽根の美しさだけは、今でもよく覚えている。でもなんとなく、見ていてすこし怖いような、後ろめたい気持ちがあった。子どもながらに、この蝶は美しいから捕獲されたんだなとわかっていた。人間に気に入られたくて青い羽根を持ったのではないし、もし目立たない色の羽根だったら、箱に詰められて見世物にされることもなく、仲間とともに、ブラジルの大地を羽ばたいていられたのだろう。
バタフライ効果(butterfly effect)という表現は、気象学者のエドワード・ローレンツが1972年にアメリカ科学振興協会で行った講演のタイトル"Predictability: Does the Flap of a Butterfly's Wings in Brazil Set Off a Tornado in Texas?"(予測可能性:ブラジルの1匹の蝶の羽ばたきはテキサスで竜巻を引き起こすか?)に由来すると考えられている。from wiki
蝶の飛翔には、なにか見るものを違う世界に誘惑するような、時空の扉を開く象徴としてのイマージュがあり、たしかにその小さな羽ばたきには、世界を大きく変えるようなポテンシャル(可能性)がある。
しかしその力は、ゲーテの言うように『万物を美しくしてくれる霊と言うべき生命』の働きによるもの。
蝶は人間を喜ばすために美しい羽根をつけているわけではない。でも花が生命を与えられて、喜んで空を舞っているような、そんな理由もない美しさが、一生懸命に私と同じ空間に存在しているという事実に触れて、なにかに突き動かされたときにはじめて、触れられない世界から真の美が立ち上がる。
見た目の美しさだけではなく、その奥にある死と、見えない生命のつながりに魂が気づくとき、その一匹の蝶の羽ばたきは、内なる大地に竜巻を引き起こす。無視しても構わないと思われているような小さな力が、やがて世界をひっくり返すように。