ロンドンのテイトモダンで見た、マーク・ロスコの作品が忘れられない。お目当ては彼ではなかった。もちろん彼の名前は知っていたのだけど、美術の教科書で見た、その壁の染みのような暗い作品にはまったく興味が持てなかった。しかし僕は翌日も、また次の日も、テイトモダンに吸い寄せられ、ロスコルームと呼ばれる、彼の作品だけを飾った部屋の中心にいた。
人と同様、作品にも出逢い方と言うものがある。そのとき僕は初めての海外での滞在ということもあり、情熱よりも不安の方が大きかった。知りあいもいない。英語もカタコトだし、財布の中身も心許ない。滞在中、僕はほとんどの時間をギャラリーや美術館を見て回ることに使った。絵画なら、わかるという自負があった。共通の言語を求めることによって、少しでも不安を埋めようとしていたのだ。結果、自分を試すつもりが、誤魔化してばかりいた。滞在中、いけない土地に迷ってしまい、キッズたちに襲われて、命がけで逃げ出したこともあった。誰も助けてはくれなかった。トイレで破れた上着を捨て、汚れた服を洗った。その日もロスコの部屋に飛び込んだ。するとなにもかも忘れることができた。なにも言わないはずの画布がなにかを僕に語り、慰めてくれているように思えた。ロスコの部屋に入ったとき、僕はわかる、とか、わからない、とかの、認識を超えたものを感じていた。躯が先に反応して、頭がその反応の所以をまったく理解していなかった。それでもよかった。一人じゃないと思えることが救いだった。一見なんでもない画布のシミに、心が響き合い、共鳴していた。そしてロスコの部屋を出たあと、親友を失ったような、ひどく寂しい気持ちになった。そして帰り道、この作者は、この作品を創ったとき、さぞかし孤独だったんだろうなと思った。
日本に戻り、彼の事を調べた。あのとき見た作品群が、シーグラム・ビル内のレストラン「フォー・シーズンズ」に依頼されたものの、スノッブなレストランの雰囲気に幻滅し、作品がただただ金持ちの食事のアテにされて消費されるのを嫌い、契約を破棄したために宙づりになったという、いわく付きのシリーズだったことを知った。さらにその作品群の寄贈先をテイトギャラリー(現テイトモダン)に決めた直後、彼は自殺している。
彼の作品の本性は、印刷では「まったく伝わらない」と断言してもいいと、僕は思う。今、日本にいて彼の画集を見かけても、買うことはないだろうし、展覧会があったとしても、あのときを超える呼応は期待できない。それならば、思い出を抱えて、熟成して自分の糧にしようと思う。好きな画家は?影響を受けたアーティストは?と聞かれても、彼の名前を挙げることはないだろう。でも忘れられない、きっといつまでも。そういう出逢い方だった。
自分が描いているのは、ロスコの真逆、具象絵画だ。昨年、剣山シリーズで具象と抽象の境のようなものを試してみたが、「自分の中で」、失敗した。でも自ら決めてしまっていた展覧会を断る勇気もなく、自分を誤魔化して発表した。すると思いがけず好評だった。緻密に描ききらないという手法を取ったので、作品の価格を低く設定したせいか、小品が何点か売れてしまうという反作用も起こってしまった。これではこの先、道を誤る可能性がある、と思った。作品が評価されるのは嬉しいけど、自分に嘘はつけないと思った。自ら望むことがよくわからなくなって、得体のしれないものに飲み込まれてしまうような気がした。だから僕は一旦自分をリセットした。それにしてもなぜ当時、具象と抽象の境に疑問符を置いたのか、今となって思い返してみると、それはロスコの部屋で起こったことを、なんとか自分で理解しようと無意識で足掻いた傷痕だったように思う。結果、表層だけをこねくり回すという浅い実践だけで終わってしまったので、後悔が生じてしまったのだ。
あのとき異国で感じた、あの感応の正体。それは使い古されている言葉なのだけど、確かに「祈り」のようなものだったと思う。神仏に向かうときのような、手を合わせたときの神妙な気持ち。怖いと想う人の目には、ものすごく怖く映り、優しいと想う人の目にはには、ものすごく優しく映る。そして心から求めるものなら、ちゃんとそこに映る。そういう神道で言うところの「鏡」、仏教で言うところの密教像のような多面性が備わっていたように思う。日本に戻ってから、具象と抽象について考えてはみたが、納得のいく答えはでなかった。それどころか、何年も経っているというのに、いまだ、あの時の躯の反応に、頭がついてきていないままのような気がしている。今はもう吹っ切れていて、抽象に触れることはないが、それでもときどき、ふとあのときのことを思い出すことがある。そんなときはこんなふうに思う。今、自分はまったく別の方法で、自分にとって最良の方法で、あのときの一枚の画布のシミを、模写(写実)しているのだろうと。
追記
ロスコ・ルーム(シーグラム壁画)は千葉にある川村記念美術館に常設されています。
http://kawamura-museum.dic.co.jp/collection/mark_rothko.html