1945年8月6日午前8時15分、米軍のB29爆撃機エノラ・ゲイが、広島市上空で世界初の原子爆弾リトルボーイを投下した。市街は壊滅して、約14万人の死者を出した。
お隣の樋口のじいさんは、67年前の今日、兵隊の学校に通っていたらしく、広島にいた。爆音とともに、大きく宿舎が揺れて、あわてて外に出てみると、大きなキノコ雲が空に浮かんでいたという。新聞で大きく報じられた、そのままのキノコ雲だったそうだ。どれくらいの距離でそれを見たのかと尋ねたら「そうじゃなあ」と遠い目をしてから、東の山の向こうを指さした。 それから樋口のじいさんは「病院に人があふれかえった」とそのときの様子を詳しく話してくれた。どろどろと血を流す娘を、病院までかつぎこんできたお婆さんがいたらしく「立場が逆だったらよかったのに」と、お婆さんは嘆いたそうだ。じいさんは「死ねたらええけど原爆病になったひとがつらいわ」と世間話のようにさらりと言った。
その話を聞いてからというもの、東の山の向こうの雲が気になりはじめた。いつも見ていた山間の風景が、なにかがすこし、違って見えた。今朝は、白光りした入道雲とそれを覆うような薄い雲の集団が見えた。綿菓子のような巨大な雲が、ありったけの青空に、ぴかぴかと鎮座していた。僕は軽い離人感と、そこはかとない罪悪感に包まれた。
2012年8月6日 祈
お隣の樋口のじいさんは、67年前の今日、兵隊の学校に通っていたらしく、広島にいた。爆音とともに、大きく宿舎が揺れて、あわてて外に出てみると、大きなキノコ雲が空に浮かんでいたという。新聞で大きく報じられた、そのままのキノコ雲だったそうだ。どれくらいの距離でそれを見たのかと尋ねたら「そうじゃなあ」と遠い目をしてから、東の山の向こうを指さした。 それから樋口のじいさんは「病院に人があふれかえった」とそのときの様子を詳しく話してくれた。どろどろと血を流す娘を、病院までかつぎこんできたお婆さんがいたらしく「立場が逆だったらよかったのに」と、お婆さんは嘆いたそうだ。じいさんは「死ねたらええけど原爆病になったひとがつらいわ」と世間話のようにさらりと言った。
その話を聞いてからというもの、東の山の向こうの雲が気になりはじめた。いつも見ていた山間の風景が、なにかがすこし、違って見えた。今朝は、白光りした入道雲とそれを覆うような薄い雲の集団が見えた。綿菓子のような巨大な雲が、ありったけの青空に、ぴかぴかと鎮座していた。僕は軽い離人感と、そこはかとない罪悪感に包まれた。
2012年8月6日 祈
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