昨日今日と、雨の合間を縫って、伸び放題だった草をむしってい た。土が濡れていると、地面がやわらかくなるので抜きやすい 。草を抜くときに、ビリビリビリっと手のひらに、雑草の小さな声 が響いてくる。まるで交換電流のように。その響きが、快感として、雑草からなにか力 を分けてもらっているような気がしている。雑草の魂が、手のひらか ら入ってくるというのか。雑草は、勝手に伸びている。ちょっと 目を離したすきに、問答無用で根を張って生き生きと生きている。そういう生 物としての逞しさが、具体的なリアリティとして、手のひらから、 ビリビリビリビリと伝わってくる。それは小さな響きなのだけど、 自分でも気がつかないような、心の奥の襞を、揺らしているような 波動がある。雑草を抜いているとき、きっと土の世界を感じて いるんだと思う。草と関係を持つことによって、見えていない 地下世界の営みと、植物の時間感覚を、手のひらで受け取っている 。だから小さな響きでも、心の深いところで、波紋のように広がっ ていく。
むしっているのは、おとなりの樋口のじいさんの土地だけど、じい ちゃんは今、風邪で入院している。じいさんのいない間に草が伸 び、荒れ放題になるのは、ちょっと心苦しいという気持ちが、自分を草むしりに駆り立てた。たかが草むしり だけど、されど草むしり。無心になれる、その運動のなかで、 手のひらから入ってくるエネルギーがある。根を張っている地 下世界は、外からは見えない。派手に騒いでいる表層は、ぐんぐ ん進んでいる、その地下世界の、複雑に満ちた営み、その混沌に起因している。そのカオス にアクセスしているということは、普段、意識している惰性の 日常から抜け出して、心身が旅をしていると言えるだろう。 心が地下に、潜っていく。なにも考えずに草むし りしていると、日常でパターン化されている時間のリズムが消えている 。腹が減ってきたとか、また雨が降りそうだなとか、風の匂いが 来たな、とか、そのような肉体として感覚機能に敏感になり、霊感 が研ぎ澄まされて、内と外が草と土の匂いを介して、エネルギーが交流する。 外から見ればつまらない単純労働に見えるだろうけど、そうではない 。小さいながらも、草といういのちを摘み取っているという経験 値と、草に隠れて見えていなかった、あらゆる昆虫との新鮮な出逢い、見えない世界への心の沈殿は、流行っているので、それじゃ あいこうか、という表面的な旅よりも、内在経験としての哲学の芽 吹きがある。いたって地味に見える無心時間のなかに、静かに 落ちて波紋する一滴の無心の汗は、人生を記憶している。
むしっているのは、おとなりの樋口のじいさんの土地だけど、じい
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