2015/11/18

消滅する時間


最も内面にあるひとつのものに、それがあらゆる時代を通じてお前に隠してきた最後の秘密を尋ねよ。(マーベル・コリンズ「道を照らす光」より)


弘法大師空海が、足のわるいお婆さんが、わざわざ下(しも)まで飲み水を汲みにいくのを不憫に思って、神通力で綺麗な水を湧き出させたと伝えられている泉の隣に、しだれ桜の樹が生えていた。

三年前くらいに、薪の手配に苦労していた自分を不憫に思ってか、なにか理由があって最近その桜を切ったらしいから、好きに使えばいいと、大家さんに言われた。土地の人に話はつけてあるから、いつでも持っていってもいいとのこと。ご好意に甘えて、桜の幹だけを使って、枝はそのままにしておいた。

時が過ぎた今、その枝を木炭にして、大家さんの家の目の前にある、しだれ桜の幹を描きはじめている。解けずに放置していたパズルが、カチリと組み合わさったような気がしていた。

画用木炭を買いに行くのが億劫だったので、木炭ぐらいなら自分で作ってしまおうと、画用に使われている柳によく似た形をしている、しだれ桜の倒木があったのを思い出しただけ、うまく木炭が生成できたから、桜で桜を描こうと思っただけ。深く考えているわけではなくて、自然の成り行きに従ってるだけなのだけど、この枝が木炭になることは、はじめから決まっていたような気がする。

見つけることができなくて諦めていたパズルの最後のワンピースは、ほんとうは自然の時間の流れに微睡んでいた。まだ自分に準備(心得)ができていなくて、だからそのときは気づくことができなかった。こちらの時間の流れを合わせるのには、三年という時間が必要だった。そしてそのふたつの流れが合流した場所で、時間は消滅した。

はじめから決まっていたように感じるということは、出会ったときに眼に見えない約束が内包されていて、その約束を思い出したからだろうと思う。その種は心のなかで相応しい時期を待ち望み、まるで花が咲くように、彩られた未来が開示される。眼に見える桜は毎年咲いてくれるけど、気づいてくれるまで咲かない花もある。

いまこの時期の桜は、人の目を避けて、厳しい冬に備えている。千手観音のように伸びた無数の手が、静かなる生命を蓄えている。寂しげなその腕に、眼に見えない約束が内包されている。花は相応しい時期を待って咲く。その先に新しい世界が展開する。

2015/11/10

白い光


宇佐八幡神社の大楠を描きたくなって、神社に通いはじめてから不思議なことが起こる。人に話してもうまく伝わらないような、微妙なことなんだけど、沈黙の内に働いている自然の力が溢れている。

鎌倉時代から此処にある大楠は、見上げても視界に収まらないほどの枝葉が広がっている。足下の根っこには、いくつものうつほ(空)がある。うつほは神が籠る場所であり、異界へ繋がる通路と言われている。大楠を見つめているだけで、その理由はよくわかる。

最初は根っこを描こうとしたが、うまくいかなかった。遠景(全景)を描こうとしたが、うまくいかなかった。描けないんだなと諦めた。諦めたら、楽になった。呼ばれた気がして、何度も通った。描けなくてもいいから、そのままを写そうと思った。

この大樹が持っている情報は、大きくて暗すぎる。闇が深すぎて恐い。だから描けなかった。諦めると、自分のなかに空洞(うつほ)ができた。その空洞に響いていた大樹の声は、野風に揺れる草葉のように優しくて、柔らかかった。

川からの強い風にあおられて、白い羽毛の種が、いっせいに空に舞いあがった。

ある朝、いつも通っているのだから、今日ぐらいは賽銭はいいかなと、本殿に挨拶せずにそのまま大楠の前に向かった。そろそろ帰ろうと門を出て、振り返って一礼、ちょうどそのとき、薄暗い本殿の奥が、ひときわ白く光っているのに気づかされた。光に意思のようなものを感じて、ハッとした。

近づいてよく見ると、天井から吊るされた、ただの白色灯だった。来たときは灯っていなかったし、普段は消えている。本殿の鏡が白色灯を反射していて、そのせいで近づくまで正体がわからずに、白い光が強い神秘を帯びていた。

鈴を鳴らし、賽銭を入れて、不作法を詫びて、それから再び門をくぐって、もう一度振り向いたら、ちょうどそのとき、今度は門についている別の白色灯が、光った。ふたつの発光体が、チカチカと鎮守の森を照らしていた。

この神社は無人。たぶん白色照明に、外の明るさを感じて自動で光る、センサーがついているのだと思う。時計を分解しても時間は見つからないように、そういう仕組みはわかっていても、このタイミングの不思議はわからない。昨日は小雨。たまたま神社に入ってから、だんだん空が暗くなっていた。大楠は神社の中と門の外、二本ある。あの光は大樹の御霊。

御霊はもちろん賽銭が欲しかったのではないし、不作法を戒めたかったのでもないと思う。ただ挨拶がないから、寂しかった。手を抜いたから、哀しかった。だから空の暗さと自動センサーのタイミングを通して、白い光で存在(真実)を伝えた。寂しさや哀しみが、心を照らした。

あの光は、タイミングの悪戯であると同時に、白い意思。どちらかが正解ではなくて、どちらもリアル。現象には万人に納得してもらえることと、本人にしかわからないようなことがある。知ることと信じることの狭間に、万物の陰影がある。

ときどきそれがどうしたと言われてもしかたがないようなことを、長い雨のように誰かに伝えたくなる。それは本人しかわからないような微妙なことこそ、ほんとうは根っこで繋がっている大きな世界のアナウンスだと信じているからだと思う。今朝は曇り空だけど、今日はほっとするような晴れ間がある。ときどき窓から光が射し、干し柿の影が畳に伸びる。木々は色づきを増して、小鳥が鳴いている。