呼ばれる
呼ばれる、という表現がある。たとえば森に呼ばれたような気がした、とか、川に呼ばれたような気がした、とか。自然に限らず、なんだかよくわからないけど、導かれるようにここに来てしまった、という感覚。ときどきそういう言い方しかできないときに使ったり、話を抽象的に、また詩的な方向に広げたいときにあえて使ったりするけど、ほんとうのところは、僕はこの呼ばれるという感覚が、よくわからない。言い換えれば、感じないし、聞こえない。そんな耳は、少なくとも、僕にはない。
呼ばれるのではなく、いつもこちらの意思で、そちらに向かっている。何枚かカードが配られていて、その一枚を選んで行動しているのは、ほかならぬ僕自身である。その選んだカードによって、不可思議な力学が働くことはあるけど、誰かに選ばされているということは、よくよく掘り下げて考えてみると、ないような気がする。誰かを、特定の神に設定することもない。今ここにいる自分自身が、強く欲しているからこそ、そのカードを選んでいる。
なにも答えてくれないような、圧倒的な存在、事象に対しては、いつだってお邪魔しているという申し訳ない感覚がある。気になるお店の暖簾(のれん)をひょいと上げて、中をこっそりのぞき見させてもらっているというような。でもいつかお客として呼ばれたいとも思っている。しかしそのように願うことそのことが、呼応力を打ち消すのだと思う。
毎日毎日、毎瞬毎瞬、いろんなカードが目の前に配られているような気がする。そんなことを、今朝、ふらっと立ち寄った森の中で考えていた。
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