輪廻と転生について考えていた。輪廻のイメージは信じること ができるのに、前世や来世、生まれ変わり、というリアリティで思 考すると、とたんに回路がずれるというのか、しっくりこなくなる 。これが自分が宗教に、心の底からは踏み込めない理由のひと つになっている。では自分の信じられる輪廻 とは。ダヴィンチはこんな言葉を残している。
『手に触れた水は最後に過ぎ去ったもので、これからやってくる最 初のものである。現在という時も、同じようなものである』
この言葉は「過去も未来も現在に含まれている」と言うよりは、切実さ がある。実際に水は、触れて、見て、匂って、味わっ て、飲んで、出して。そういう身近なものだから。
【水循環】太陽エネルギーを主因として引き起こされる、地球にお ける継続的な水の循環のこと。固相・液相・気相間で相互に状態を 変化させながら、蒸発・降水・地表流・土壌への浸透などを経て、 水は地球上を絶えず循環している。from wikipedia
たとえば、今まさにこの瞬間に降っているこの雨の一粒は、卑弥呼 が髪を洗った水かもしれないし、これから福島の原子炉に注入され る冷却水かもしれない。かもしれないではなくて、検証できない だけで、まさに、そう。検証できないものは、検証できないからこそ、在り続ける存在になりえるわけで、現在に落ちる一滴の水は、過去 や未来の記憶を含む、大海を飲みこむ全体の一部なのだから、ダ ヴィンチの言っていることは、そういうことだと思う。
自 分の感覚で育っている輪廻のイメージ(像)は、この水循環が もっとも近い。人間の心も、水のようなものだと思う。死者の声を記憶してい るし、未来を映し出しているし、たえず形を変えて、相を変えて、 循環して、今、この瞬間に在る。太陽のエネルギーや、月の引力 、地球の磁場、宇宙の磁場。人間など眼中にない世界の力によって 、水も心も、絶えず影響を受け続けて、だからこそ生き生き生き生 きて、死に死に死に死んで、循環している。肉体が消滅しても、 魂が在るという表現は、一滴の水を考えるだけで、すんなり筋が通る。
『手に触れた水は最後に過ぎ去ったもので、これからやってくる最
この言葉は「過去も未来も現在に含まれている」と言うよりは、切実さ
【水循環】太陽エネルギーを主因として引き起こされる、地球にお
たとえば、今まさにこの瞬間に降っているこの雨の一粒は、卑弥呼
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