モームの月と六ペンスを読む。
40才で株式仲買人から画業に専心した、ゴーギャンにインスパイヤ されて創作された小説。心が渇いていたのか、水を飲むよ うに読みやすかった。世俗的な成功や常識に捕らわれない鬼火。火 宅の人。
芸術における魔性のこと。ただ、 泣く女を描いたピカソよりも、妻のカミーユを亡くしてから、人物 画を描かなくなった(描けなくなった)モネの方が、僕は美しいと 思う。実際、二人の原画を見たことがあるけど、心を動かされたの はモネ。絵は正直だと思う。
大雨に散る梅の花を見つめていると、見ているモノと見られている モノの真空に、なんとも言えない妖しみや直観が落ちている。もの のあはれ。そういうものを静かにすくいとって、別の空間に再現し てくれるのが、芸術だと思う。だからこそ、真意に届かぬという憂 いに、作り手は苛まれる。
『この世界でもっとも貴重な美というものが、まるで浜辺の石ころみたいに、ぼんやりと通り がかった人が、遊び半分に拾えるようにころがっているなどと、き みはどうして考えるのだろうか。美はすばらしいもの、ふしぎなも ので、芸術家が、魂の苦悶のうちに世界の混沌から作り出してくる ものなのだ。そして、それが創り出されても、すべての人間にそれがわかるとい うことにはならないのだ。それを認識するには、その芸術家の冒険 をくりかえさなければならない。それは、芸術家が歌ってくれるひ とつの旋律であって、それをふたたび自分の心の中で聞くには、こ ちらにも知識と感性と想像力とが必要になってくるのだ』月と六ペ ンス
40才で株式仲買人から画業に専心した、ゴーギャンにインスパイヤ
芸術における魔性のこと。ただ、
大雨に散る梅の花を見つめていると、見ているモノと見られている
『この世界でもっとも貴重な美というものが、まるで浜辺の石ころみたいに、ぼんやりと通り
『私は見るために、目を閉じる』ポール・ゴーギャン
"I shut my eyes in order to see." Paul Gauguin
ゴーギャンの大作「われわれはどこから来たのか われわれは何者か われわれはどこへ行くのか」。図録からでも漂ってくるこの絵の不
西洋文明に絶望したゴーギャンは旅にでるが、追い求めた楽園はど
楽園はどこにあるのだろうか。
そのような哲学的な問いに対して、ゴーギャンは人生を賭して答え
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