2014/08/29

混沌と秩序



手つかずの森のなかにいると、そこはかとなさに包まれる。所在や理由がはっきりしないけど、なんとなく距離や空間のないものを感じられる。「そこはかとなさ」には、あらゆる要素が、まだはっきりしない未段階のまま、詰まっている。

そこから観察者がある要素を抜き取ると、自然はそのように変身する。キラキラしていて綺麗だなと思えば、そうなるし、やばいなと感じれば、そのような顔をしている。いかようにも変化する。

それは鏡のようにある側面を映しているにすぎないわけで、どのようにでも変容する、そのはっきりしない未段階に、興味がある。そういうものをはたして「視る」ことは可能だろうか。観測者が対象からなにかを引きだそうとしていなくても、混沌はありのままでエネルギーを発している。そこに畏れを感じて敬いの姿勢で佇んでいると、透明な風が体を通過する。しだいに外的世界と内的世界の区別が曖昧になって、それなのに、絶妙なバランスが感覚として立ちあがる。混沌(カオス)のなかに秩序(コスモス)を見ているのだろうと思う。

自然の方から訴えかけてくるものが、どのようにして自分に達しているのだろうか。視覚器官(目に映るもの)とは違う回路で、自然はこちらに流れている。自然への通路は、感覚によってのみ開かれる。

『人間の頭脳に対しては、自然は永遠に沈黙している。画家は、このことに最も辛抱強く耐えうる者でなくてはならない』前田英樹「セザンヌ 画家のメチエ」より

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