夜の散歩。まだ咲ききらない夜桜が、月の視線を受けて桃色めいていた。
夜が暗く、昼が明るく。空が青く見える理由や、夕暮れがなぜ赤いのかは、調べればわかる。でも光の波長という知識だけで、空の青さや、夕焼けの赤みや、藍色の闇の奥深さや、花の紅に感じいる心の機微を、説明することはできない。色は感情を持っている。感覚として捕らえている色については、自分で自分を照らしてみないと、ほんとうのところはよくわからない。
ニュートン光学に反証する形で、ゲーテは約二十年の歳月をかけて色彩論という大著を書き、その意志を継いだシュタイナーがさらに詳しく色彩の本質を書き残した。実験によって数値に置き換えられた自然は、もはや本当の姿を失っていると、警鐘を鳴らした。色彩論では、色彩とは光と光ならざるもの対立(結婚)、光と闇の境界線にこそ存在すると説き、闇そのものの存在を重視し、色彩現象の両極を紡ぐ重要な要素として考えていた。もし世界に色がなければ、どれほど寂しかろうと思う。人が感情を持ったそのときに、世界に色が広がったとも言えるだろうか。
色とは、今まさにこの瞬間の生命の証(照)明という気がする。作品を色のない形で残そうとする表現者の想いも、そこにあるのではないだろうか。過去や未来には色がない。でも永遠の相がある。過去にも未来にも属することができないこの消失点、vanishing pointにだけは、光があたる。宇宙からの恵み、慈しみだと思う。
東洋的には色はしき。物体であり、物質のこと。表面に見える色だけではなくて、物体の内から輝く色(光)のことも含まれている。見えているものだけが色ではなくて、内面から引き出されるような見えない色もある。色即是空 空即是色。色のない世界とは、空(くう)のことだろう。
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