2015/03/08

沈黙の声


呼ばれたような気がして猩々の森に。

森の前の河原に、元禄時代の古い墓碑が転がって倒れていた。捨てられたのか、濁流に運ばれたのか。可哀相になって、砂場の脇に運んで、立てて、手を合わせた。それから森でスケッチして、帰ってから家の前の河原で犬と遊んでいたら、川べに白い球体が。卵かなと思ったら、石のように固い。でも石でもない。なんだかわからないけど、霊(たま)なんだろうなと思った。

猩々の森はこの山里の死角にある。道路からは見えないし、ちょっと遊びに来た人が見つけられる場所ではなくて、地元の人も知らないと思う。わかりにくい獣道なのに、トンネル工事が始まって、道が完全に閉ざされて結界がかかっていた。迂回してここに行くには川を渡る必要があるが、雨が降ると渡ることはできない。

森に入ってすぐに、頭上で大きく鳥が鳴いた。

聞いたことのない鳴き声だった。しばらくして以前から感じていた視線が、ヒノキの枝痕だったことに気づいた。樹には目がある。それに気づいてから、驚いた。ここはヒノキの植林の森なのだけど、枝痕は恐るべき数だった。無意識はそのことを知っていたのに、気がつくのに今日までの時間が必要だった。枝痕は無意識と見つめ合っていた。

何枚か写真を撮るのだけど、広い場所なのに、いつも必ず同じ立ち位置で撮ってしまう。すこし角度を変えているだけで、ほとんど同じ場所を撮っている。このことは自分でもうまく理解できない。その視線の先には時空が裂けたような真空があって、超自然的ななにかが関与して、此方と彼方の通路を開いているような。そこでなにかと繋がる。根拠はないけど、精霊だと思う。そのときはよくわからないんだけど(いつもそうだ)、しばらくしてその体験が、沈黙の声として、ゆっくりと言語化して意識に浮かんでくる。

memento mori

こういう体験をすると、頭では理解できない宇宙のはたらきが、自分を生かしていることがよくわかる。


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