2015/09/15

精霊の森②


「犀の角のようにただ独り歩け」釈尊


屋外だと陽光が移り変わるので、一枚の画布に眼で見たまま、正確に自然を描くことはできない。朝の光と昼の光で印象が変わっているのに、その差異を埋めようとするから、色が不自然に混在していて、タッチも荒くなる。でも綺麗に描けていなくても、リアリティはあるので自分では納得ができる。個性を消すには、写真のように描かなければと思っていたのだけど、実際には人は機械ではないので、写真のように正確には描けない。それでも自分に嘘はつきたくないので、できるだけ見たままの色を乗せていると、一枚の画布に自分が体験した時間(色)が積み重なって、混在する。

いい絵ってなんだろうと思う。自然はもうそのままで美しい。わざわざ描かなくても、いいじゃないかと思う。人に褒められたいから描いているだけなら、もっと上手い人にまかせて辞めてしまいたい。でも辞められないのは、なぜだろうといつも思う。モチベーションの在処が、よくわからないまま浮遊している。

たとえば森に陽射しが射しこんでくる瞬間は、確かに美しい。みんなにいいね!って言ってもらえるだろう。でも光も射しこんでいない、誰にも相手にされていない圧倒的に暗い時間があるから、その木洩れ陽に美しさが宿る。

自然はなにも言わない。でも心を澄ましていると、沈黙の声が聞こえてくる。上手く描くことも大事だけど、ままならなくても自分にしかできないことを、やるべきだと言う。そのままならなさに向かって進めと言う。


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