2020/07/19

ガジュマルの樹の下で

旅の手帖(喜界島編)

喜界島着、手久津久のガジュマルにやっと会えた。ずっとこの木に呼ばれているような気がしていて、ここまで導いてくれた。形がよく、島では有名な大樹で、天と地、自然と人々を結びつける大切な役割を果たしている。


周りを歩いたり、触ったり、精霊を抱きしめるように、一時間くらいはここにいたと思う。天気がすこし心配だったけど、眩暈するほど陽射しは強く、初日からここにたどり着くまで、ずっと晴天に恵まれた。
 
じつは日程では一週間ほどから旅に出る予定だった。でもダイヤを読み間違えていて、乗り継ぎのフェリーに乗れなかった。勘違いは多いけど、さすがにこんなミスは普段絶対にしない。これはなんかおかしいなと思って、いくつか他の手段はあったけど、天気予報が気になっていたのもあって、思い切って予約していた往復のチケットと宿を全部変更して、日程をずらした。

ここに来る予定だった日の雨雲レーダーを見たら、梅雨前線が予報よりも南下していて、雨雲にすっぽりと覆われていた。友はこれを心配してくれていたんだな。無意識のアンテナが受信する情報は、スーパーコンピューターよりもはるかに精度が高い。無理して強行していたら、滞在中の天気はずっと崩れていた。あらかじめ、普段ならしない勘違いをプログラムされていたような気がした。こういうときは無理に予定を遂行せずに、無意識に従うのが正解。

バスの予約が取れなかった日に地震で運休になったり、大地震の直前に引っ越していたり、いつもなにかが未来を読んで、災いを避けてくれているような気がしている。だからそれがただの思い過ごしだったとしても、無意識のガイドには従うようにしている。内なる声が聞こえるなら、予定なんて、ひっくり返しても構わない。

でももし個人ではなく、組織人だったら、そんな言い訳は通用しないのかもしれない。でも自分の感覚を信じていないとできない判断がある。そういうときは、迷わず内なる声に従った方がいい。信じて進んだ道なら、苦しくても後悔はしないのだから。

 

この後、夫婦ガジュマルを見に行った。手久津久は看板もあり、平地にあってわかりやすいけど、夫婦ガジュマルは看板もなく、山中にあって、事前に調べた情報も頼りなく、よくわからなくて途中で地元の人に尋ねたら、土砂崩れで倒木したという。それでも教えてもらった場所に向かってバイクを走らせていたら、山中で突然上から水が流れてくるような不思議な音を聴いて、驚いてバイクを止めた。でも見上げてもなにもなく、あれはなんだったのだろうと不思議な気持ちになっていた。心身共に調子良く安定していて、幻聴を聴くほど精神は錯乱していない。ただ変性意識状態にはなっていたのだろう。
 
あらためてバイクにまたがり、数メートル進んだところに巨大なガジュマルがあった。

 

 



ガジュマルはイマージュより実物はすこし小さい、と奄美編で書いたけど、喜界島は別格で、ほぼイマージュ通りの大きさ。見上げるほど大きく、中に入れるほど懐も深い。
 
しばらくしたら、軽トラに乗った地元の人に声をかけられた。奄美に来て「向こうから」話しかけられたのは、これが初めて。
 
「なにしてるの?」
「ガジュマルが好きで」
「どこにでもあるけど」
「珍しいんです。すごく」
「どこから来たの?」
「四国の徳島です」
「ああ、剣山、ユダヤの」
ちょっと驚いた。
「そうですね。剣山の近くで生まれました。この島はガジュマルがすごいですね」
「日本で一番じゃないかな。開発が進む前はもっと多くて、子供のころはターザンみたいに気根を使って、樹から樹へと渡ったもんだ」
 
そうだろうなと思った。
雑草などに覆われて外からは見えずにわかりにくいけど、ガジュマルが異様に多くて、手つかずで野性的。道もなく、まったく近づけないけど、気配だけはすごい。本州に一本あったら、手を合わせて拝まれるようなサイズのガジュマルが、おそらくは果てしなく絡み合い、潜んでいる。大きさを比較してもらいたかったので、カメラを渡して撮ってもらった。
 
 
その方もカメラを持っていたので撮ってくれた。名刺はあるかというので渡した。
 
「あれ?榊って性、この島にも昔からいるよ」
「そうなんですか?」
「山向こうの集落に、すごく・・・人たち」
途中で自分の頭を指さして、なにか言ったが、もごもごして聞き取れなかった部分があった。頭がよいか、狂っているか、どちらかのことだろう。
雲がどんどん暗くなり、雨が降り始めた。
「気持ちいいですね。すぐにやむでしょう」
「いや、まだ梅雨明けしてないから、わからんよ」
 
そう言って、その方は車に乗って去っていった。
 
途中で蝶やサンゴの石垣の話などをした。かなり割愛しているし、自分の記憶を通しているので正確ではないけど、だいたい覚えているのはこんなふうな会話だった。創作はないので素朴だけど、味のある会話だったなと思う。
 
サッといなくなってから雨が強くなったので、ああ、神の使いだったのだなとわかった。こういうことはよく経験する。神聖な場所には、よくガイド(守り人)が現れる。この現象がユニークなのは、本人に自覚がないところ。だから立場を替えると、自分も自覚がないだけで、誰かのガイドをしているのかもしれない。性別や年齢構わず、気になったら話しかけてしまうタイプなので。そう思うと、なんだか楽しい。
 

 
おっしゃる通り、雨は激しくなってきた。まだ離れたくなかったので、巨大なガジュマルの樹の下で雨宿りをした。懐(ふところ)でじっとしていると、雨音に交じって、上の方から奇妙な音が聞こえてきた。擬音にすると、ヒューヒョロロロロロー、ヒューヒョロロロロロー、というような、笛のような音だった。それが何度もずっと聞こえた。いま思うと、あれは聞いたことのない鳥の声だったのかもしれない。でも雨が降ってから、勢いよくガジュマルの樹の上で鳴く鳥がいるのだろうか?
 


 
正体がなんであれ、その音は、そのとき確かに、精霊の声として魂に響いた。それが自分にとっての揺るぎない真実だった。きっと直前の音も、水の精だろう。屋久島でも似たような体験をしている。入山してすぐに大雨、大きなうつほに入って雨宿りをした。音は聞いていないが、鹿の親子が出現した。自分以後に入山禁止になったため、人気はまったくなく、雨で自分の気配も消えていたのか、親はこちらを見ていたが、子鹿は信じられないような距離まで近づいてきて、自分が消えて違う時空に入っているような気がした。
 
 
 
ここが夫婦ガジュマルかどうかははっきりしないけど、土砂崩れのことを思い出して、離れることにした。刺すような雨粒の傷みを抱いたまま、手津久津に戻った。
 

 
雨に濡れたガジュマルは、さきほどとは違う印象で迎えてくれた。自然はなにも言わないけれど、沈黙の声は魂に響いている。それ(it)は求めないと現れないのに、こちらから探すと見つからずに、完璧なタイミングで、向こうから現れる。
 
 
雨が小降りになった帰り道。サトウキビ畑の広がった喜界島は、滑走路のような一本道が多い。ただただ真っすぐに伸びている道を走っていると、なんとなく頭の上の方で✚の図が浮かび、次の交差点(クロスロード)でバイクを止めると、二匹のカラスが降りてきて、スプリンクラーに止まってクロスした。次の交差点にも別の二匹の鳥が、韻を踏むようにすっと降りてくる。そうか、ここは想いが現象化する世界なのだ。
 


 
奄美空港では来る予定だった宿主の代理で、同郷の子が迎えに来てくれたり、アダンの下に龍の頭骨が落ちていたり、ガジュマルの下で話しかけられたり、変な音が聞こえたり、急に大雨になったり、雀にパンをあげていたら「見てないようで、見ていますね」と地元の人に話しかけられたり(話しかけられたのはこの二人だけ)、人や虫や光や雨や自然との出会いの背後に、偶然を装って語り掛けてくる島の主(神さま)の存在を、ずっと感じていた。旅のはじまりのはじまりから、最後の最後まで。
 
 
島の主は森羅万象を操る。そのように見えるのは、人間が空間や時間軸に縛られているから。彼らの世界にはただ大きな叡智と生命のうねりがあり、もはや時間は存在しない。もし人間全体がそのことに気づき始めたのなら、神即自然、自然即宇宙の真理は、今まで探していた外側ではなく、内面から姿を見せてくるだろう。
 
 
人間なんて眼中にないはずの世界から、見てないようで見られている視線を感じるときは、自然という球体の鏡(眼中)に、後ろの正面にいる神さまが映りこんでいるから。想いが現象化するのは、そこに真心があるとき。
 
日本にまだ、こういう手つかずの島があってうれしい。
 
この旅の手帖を、わたし⇄あなたへ。
 
 
 


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