2024/07/22

the end of the world

2024年7月19日、陽射しに強いエネルギーを感じたので映色実験をはじめた。水晶や無意識の海、双龍、butterfly effect、一通り試してみたが、他の全ての作品はうまく映色してくれないのに、この世の果てだけは息を飲むような虹色が出てくる。なにかあるなと感じて実験を重ねていた。

そして7月21日、この世の果てから凄まじいエネルギーが流れてきた。あきらかに今までとは違う。





その夜は満月だった。静かだけど荘厳で、キラキラと輝いて見えた。

2024年7月21日は山羊座の満月。かつてアメリカ先住民は、雄鹿の象徴である角が生え変わる時期にちなんで「バックムーン(牡鹿月)」と呼んでいたらしい。

「生まれ変わり」「復活のパワー」が秘められているという。

まったく知らなかったが、そう教えてもらった。いつもそうだが、後から教えてもらってハッとする。

自分は1月生まれの山羊座、そしてまさに今、画集の出版と展示を控えていて、家には白い角を持つ雄鹿(牡鹿)の絵で溢れている。

展示は自分にとっては個展というより儀式のようなもので、山から生まれた精霊を海に帰すセレモニーの意味がある(だから海に近いギャラリーを選んだ)。本の編集に時間がかかっていたのと、猛暑というのを考慮して9月にずらしたけど、最初はちょうど今くらいの時期に展示したいなと思っていた。

そしてこの精霊の森シリーズの最期に現れたイマージュが、この世の果て、the end of the world。これはまったく想定していなかった展開なので、自分でも不思議だった。洞窟に眠る白い狼が、夢の中から白い光の玉を送ってきた。夜空に浮かぶ星のような球体、それは同時に、川面に煌めく太陽の光だった。昼と夜は時間(人間)という糸で繋がっている。

山から海を繋ぐ、川。その川面に映る太陽の光。すべてが点と線で繋がって、精霊は輪廻していく。

個人的には、今年と来年は節目の年という予感がある。それが個人的なものなのか、世界全体のことなのか、自分ではわからない。ただ言えるのは、バックムーン(牡鹿月)から送られてきたこの精霊の光には、復活のパワーが秘められている。






2024/05/19

この世の果て


川面に揺れる光の粒を見ていると、まるで自分を内側から眺めているような気持ちになる。

同時に内側から宇宙全体に意識が広がっていくような、不思議な気持ちにもなる。まるで降りてくると同時に浮上する精神の光。その小さな輝きの一瞬は、やがて大きな渦を描き、見えない世界から聖霊を呼び起こす。この光が見える場所を「この世の果て」と呼んでいる。

この世の果ては特定の場所を持たない。あえて言うとしたら自分の内奥。だから外側に探しても見つからない。自分探しをして旅に出ても、見つからないように。

でも見えない世界にピントを合わせていると、やがて向こうからそれは現れる。目を閉じて近づくように心を開いて、内から外を見上げるときはじめて、見えていなかった世界が見えてくる。


この世の果ては世界の終わりではなく、新しい宇宙への扉。

明滅を繰り返しては揺れ動き、螺旋(無限)を描いて宇宙の夜を浮遊する光とは、星屑から生まれた魂の破片。その光を拾い集めていれば、自分が創造主であることを思い出す。

この世の果てが見えたなら、自分が見たい世界を創ればよい。






2024/02/24

ワタリガラスと小さな狸

ある日の散歩道、お不動さんのそばにいつか見たコダヌキがいた。


ひどい皮膚病で動けない状態。既に死の気配を察した数羽のカラスが上空を飛んでいた。


まだ生きてるのでとりあえずシーツをかけたら、ちょっと起き上がってコクリと頷き、横になって動かなくなったので山に帰した。

最期の挨拶をしてくれたのか、抱き上げたとき、「キュン」と一言鳴いたのがとても印象的だった。



コダヌキと出会う数日前、絵の中にワタリガラスが出現した。この世界に光をもたらした恩人であり、人間を呼び出したのも彼だという。

前日には、剣山の頂上でワタリガラスが極楽鳥に化身する絵も描いていた。

うちの里山はカラスの姿を滅多に見ない。だから上空に舞うカラスの群れを見て、とても珍しく、また絵の世界と現実が曖昧になったような不思議を感じていた。

翌日の朝には白い布だけが残り、コダヌキはもういなかった。抱き上げて「キュン」と鳴いたそのとき、命は極楽鳥に抱かれていたのだろうと思う。



その夜、極楽鳥たちが楽しそうにガジュマルの森を舞う絵を描いた。なにか新しい神話がはじまったような気がした。

アラスカのような広大な森ではないけど、この小さな里山にも宇宙がある。創造と直感はそこから流れてきて神話を描く。

神話=魂のコード。

魂は永遠を求めて宇宙を輪舞している。