2011/07/26

千年

福岡県立美術館と石橋美術館、両館同時開催の髙島野十郎展を見に行った。野十郎の血縁の方とお会いして、原画も見せて頂いた。おそらく1920年前後に描かれた初期のものらしきその作品は、ヨーロッパ渡航直後に大量に捨てられた作品群の生き残りだった。渡航後に明るい色調に変わるので、作品を破棄することによって、それまでの自分から脱皮を計ったのだと思う。サインがなかったため出品されなかったらしいが、それはこの作品が未完成だったからだ。もしかしたら野十郎は未完の絵が世に出るのを望まなかったのかもしれない。しかし僕はこの絵に宿るエネルギーのほんの入り口だけでも、多くの人に見て欲しかった。だから血縁の方にお願いして、写真を一枚だけここで公開させていただくことにした。僕はこの作品に対して小さな責任を負うことによって、間接的にもっと野十郎に近づきたかったのかもしれない。

美術館に展示されているものではなく、本物の作品をこの手に抱いたとき、絵筆の先に集中する野十郎の背中がはっきりと見えた。それはとても鮮明だった。僕は絵を見ている肉体から魂が抜け出して、彼のアトリエを窓辺からそっと覗いている小鳥になっていた。

野十郎はいまだ謎が多い。今回、その謎を解き明かしたり、ますます複雑にさせる、新たに見つかった作品や写真が多くあった。今後、彼の研究が進み、知られていなかった作品も、もっと世に出てくると思う。彼が田中一村と並び、世に迎合せずに画業に邁進した、日本を代表する本物の芸術家であることは間違いないのだけど、今回の展示のように、新たな作品や写真が見られるのなら、僕はもっと多くの人に野十郎という名前を知って、作品に触れてもらい、彼の名を世に知らしめたいと思う。「そんなこと、どうでもいいんだよ」と天から彼の笑い声が聞こえるのだけど、油絵の特性を研究し尽くし、長持ちするためにさまざまな工夫を施して「自分の絵は千年は大丈夫だ」と発言した彼の隠された意志を、僕は千年先の人たちに紡いでいきたい。




2011/07/13

矛盾

真夏のような強い陽射しの午後、川で身体を冷やしていたら、鹿の角を見つけた。角とはいっても、頭頂部の骨がついているので、頭蓋骨だ。周囲からは絶対に見えない、川辺の窪んだ小さな谷のような場所にあり、ずっしりと重かった。角以外はなにもなく、おそらくは一ヶ月ほど前の悪魔のような濁流によって他の部位は流され、重い角のついた頭頂部だけが流されずに此処に留まったのだと思う。地元の人に見せたら、生え替わりに落とす角だけならよくあるのだが、鹿の骨は珍しいとのこと。また鹿は死に場所に水場を選ぶ習性があるという貴重な話を聞くことができた。食べられるくらいなら、流骨になった方がいいという本能なのかもしれない。あらゆる野生動物は年をとって身を守る力がなくなると、敵から見つかりにくい場所を探し、そこで身を隠して静かに死を待つという。

この話を聞いたあと、制作途中の油絵を見ていて、はっと気づかされたことがあった。この絵は崩れ落ちそうな巨木の根本にできた小さな洞窟に向かって、一匹のうなだれた鹿が歩いている背中が中心になっている構図だ。なぜこの構図に惹かれているのかよくわからないまま描き進め、描く前から「暗示」というタイトルをつけていた。題名が先に降りてきたので気になっていたのだけど、その謎が今回の鹿骨のおかげですっかり解けた。これは菩提樹を見つけた仏陀のように、渡世を彷徨ったあげくにやっと死に場所を見つけて、まさにそこで骨を埋めんと最後の力を振り絞る老鹿の背中だったのだ。とにかくその洞窟にさえ辿り着きさえすれば、悟りと永遠の安らぎを得て、死をもって大きく世界のシフトが変わりそうな予感がある。そういう此岸と彼岸の裂け目、まるで女性器のような天の岩戸を感じさせる半開きの時空のシンボルとして、多くの取材写真の中からこの構図を潜在意識が選びとり、水辺で風化しようとしていた鹿の骨が手がかりになって、顕在意識にまで押し上げられたのだ。

表現とは人間が生きるために最低限必要なことではない、という事実を、忘れないようにしている。百姓や漁師の方がはるかに尊いと思っている。未曾有の天災と放射能という人災は、ジャックナイフのような鋭さでその事実を、あらゆる角度から、表現に関わる人たちの喉元に突きつけたはず。それでもなお、意味などないはずの表現に理由をつけるとしたら、その人が、その人なりに、希なる望みを託し、それなしには生きていけないから、生きていたいから、死にたくないから、続けているのだろうと思う。僕はそうだ。それなのに老鹿の背は死を誘い、涅槃を暗示している。描かれたものには、ちっぽけな自分の意志など、まるで反映していない。そういうつじつまの合わない矛盾を見つめたときに、人知を超えた無限なる英知の介在を感じてしまう。




2011/07/02

写楽の猫

眉山の東、東光寺というお寺に東洲斎写楽の墓がある。ギリシャで肉筆画が見つかって研究が進んだことから、ほぼ阿波徳島藩の能役者である「斎藤十郎兵衛」が写楽の正体と確定して、この墓が写楽であることは証明されたのだけど、ずいぶん前から僕はこの墓が本物かどうかには興味がなく、関心はもっぱら写楽の墓に住む、人なつっこくて目つきの悪い三毛猫の方に集中していた。

世に出た写楽は姿を消したが、彼はただ斉藤十郎兵衛に戻っただけで、斉藤十郎兵衛が残した写楽という魔法は、見上げれば手に届きそうな距離で、今もなお星のように輝いている。十郎兵衛は本当に幸せな人生を送ったのだなあ。人目を気にせず、すやすやと眠る写楽の化身を見ていると、そう思わずにはいられなくなる。


追記

2011年11月20日、いくら探しても、写楽の猫はいなかった。住まいにしていた小屋もなく、お寺の隅に手作りのお墓があった。大きめの阿波青石をぽんと置き、そのまわりにぐるりと小さな石を並べて苗を植えただけの、素朴で可愛いお墓だった。墓石にはなにも書かれていなかったし、住職に聞いたわけではないのだけど、この石の下に写楽の猫がいることはすぐにわかった。もし僕が飼い主だったら、これとまったく同じような墓を作ったことだろう。

どうしてもお墓の写真を撮りたくて、我慢できなくなったので、一枚だけ撮らせてもらった。あとで見たら、写真の右上に、大きなぼんやりとした影が映りこんでいた。僕はこの影を、三毛のものだと直観した。最後の挨拶に、降りてきてくれたのだ。この世に姿を見せることができないから、こっそり木陰でも利用したのだろう。本当に嬉しかった。

近くにあるなじみの画材屋さんに行ったときは、必ず東光寺に足を伸ばした。はじめて逢ったのは、真夏のひどく暑い日だったと記憶している。二年前か三年前、そんなもんだったと思う。写楽の前で手を合わせていると、とぼとぼと足元にすり寄ってきた。片眼が半分つぶれて、ひどく目つきの悪い猫だなあと思ったが、とても人なつっこく、離れても離れても、とぼとぼついてきて甘えてくる。年のせいか、歩くのがしんどそうだったので、何度も何度もなでてやって、これでおしまいさようならと手を振ったものだ。

今年の夏は日陰で休んでいた。僕に気がつくとすり寄って出てきたが、墓前の水を頻繁に飲み、直射日光が痛そうに思えた。長生きしろよと思ったが、初秋にもう一度逢って、それっきり先に逝ってしまった。



再追記

2013年1月18日、図書館に行ったついでに隣接している王子神社へ。ここは「猫神さん」の愛称で親しまれているところで、実際に人なつっこい黒猫がいる。その子を触って遊んでいたら、後ろの藪(やぶ)のなかからミャーミャーと鳴き声が。声は聞こえど姿はあらず。よくよく探したら、目に傷を負った子猫が隠れていた。寄ってはこないのだけど、こちらに向かって、なんどもなんども鳴いている。この子は写楽の猫の生まれ変わりだと確信した。魂にこんにちは。また逢えてうれしい。



再々追記

2015年9月5日、最近よく三毛猫を見かける。もしかしたらずっとそばにいたのに、気づかなかっただけなのかもしれない。警戒心は強くて、近づくと離れていく。目つきが悪くて、そこがまたかわいい。あれは三代目、写楽の猫の生まれ変わりだろうと思う。根拠はなくても信じられる自由がある限り、たとえ肉体は消滅しても、永遠の命は続いていく。







2011/07/01

月兎

近隣さんのご厚意で借りた畑に撒いていた菜っ葉と大根とほうれん草の種が最近になって芽生えてきたのだけど、半分以上、いや三分の二くらいが芽生えてすぐに虫に食われて死んでいた。特に無農薬にこだわったわけではないし、手入れしなかった自分も悪いのだけど、散々な畑を見ていると、農薬なしで植物を育てるとはこういうことか、と否応なしに実感させられた。それでも最初の葉をおとりにして、何枚も食べきれなくなるくらいに生えてしまえと言わんばかりに新葉を伸ばす種がいて、そういう逞しい種を見ていると、食べる前から元気をもらったような気になる。


なんとなく穴が空いた一枚をもぎ取り、青空を透かせて見ていたら、ただそれだけのことで、なにものかに心を奪われたような、放心して、自分がちりぢりに砕け散ってしまったような気持ちになってしまった。急に視界がプラネタリウムのようになったので意識が驚いただけなのかもしれないが、無意識の方に静かに訴えかけるなにかが、確かにあった。心を奪うものには、言葉を超えた広がりがあるのだから、本当はこれ以上なにも語るべきではないのだろうけど、新葉のために、また、お腹を空かせた虫たちのためにボロボロになった葉を見ていると、その無惨な姿に、利他心、自己犠牲の精神を投影せずにはいられなかった。今昔物語に出てくる逸話、帝釈天が化けた老人を助けるために、火の中に飛び込み、自分の体を食べさせようとした「月兎」のような、捨身。死の美学。もともとそういう美学が内包されているから、心を奪われたのか、心を奪われたから、美学が紡がれたのか、どちらが先なのかは、よくわからないのだけど。とにかく自分のちっぽけな価値観を揺るがす月の兎が、一見無駄死にの、この穴だらけの暗幕の奧に見えたような気がしたのだ。