福岡県立美術館と石橋美術館、両館同時開催の髙島野十郎展を見に行った。野十郎の血縁の方とお会いして、原画も見せて頂いた。おそらく1920年前後に描かれた初期のものらしきその作品は、ヨーロッパ渡航直後に大量に捨てられた作品群の生き残りだった。渡航後に明るい色調に変わるので、作品を破棄することによって、それまでの自分から脱皮を計ったのだと思う。サインがなかったため出品されなかったらしいが、それはこの作品が未完成だったからだ。もしかしたら野十郎は未完の絵が世に出るのを望まなかったのかもしれない。しかし僕はこの絵に宿るエネルギーのほんの入り口だけでも、多くの人に見て欲しかった。だから血縁の方にお願いして、写真を一枚だけここで公開させていただくことにした。僕はこの作品に対して小さな責任を負うことによって、間接的にもっと野十郎に近づきたかったのかもしれない。
美術館に展示されているものではなく、本物の作品をこの手に抱いたとき、絵筆の先に集中する野十郎の背中がはっきりと見えた。それはとても鮮明だった。僕は絵を見ている肉体から魂が抜け出して、彼のアトリエを窓辺からそっと覗いている小鳥になっていた。
野十郎はいまだ謎が多い。今回、その謎を解き明かしたり、ますます複雑にさせる、新たに見つかった作品や写真が多くあった。今後、彼の研究が進み、知られていなかった作品も、もっと世に出てくると思う。彼が田中一村と並び、世に迎合せずに画業に邁進した、日本を代表する本物の芸術家であることは間違いないのだけど、今回の展示のように、新たな作品や写真が見られるのなら、僕はもっと多くの人に野十郎という名前を知って、作品に触れてもらい、彼の名を世に知らしめたいと思う。「そんなこと、どうでもいいんだよ」と天から彼の笑い声が聞こえるのだけど、油絵の特性を研究し尽くし、長持ちするためにさまざまな工夫を施して「自分の絵は千年は大丈夫だ」と発言した彼の隠された意志を、僕は千年先の人たちに紡いでいきたい。
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