2011/07/01

月兎

近隣さんのご厚意で借りた畑に撒いていた菜っ葉と大根とほうれん草の種が最近になって芽生えてきたのだけど、半分以上、いや三分の二くらいが芽生えてすぐに虫に食われて死んでいた。特に無農薬にこだわったわけではないし、手入れしなかった自分も悪いのだけど、散々な畑を見ていると、農薬なしで植物を育てるとはこういうことか、と否応なしに実感させられた。それでも最初の葉をおとりにして、何枚も食べきれなくなるくらいに生えてしまえと言わんばかりに新葉を伸ばす種がいて、そういう逞しい種を見ていると、食べる前から元気をもらったような気になる。


なんとなく穴が空いた一枚をもぎ取り、青空を透かせて見ていたら、ただそれだけのことで、なにものかに心を奪われたような、放心して、自分がちりぢりに砕け散ってしまったような気持ちになってしまった。急に視界がプラネタリウムのようになったので意識が驚いただけなのかもしれないが、無意識の方に静かに訴えかけるなにかが、確かにあった。心を奪うものには、言葉を超えた広がりがあるのだから、本当はこれ以上なにも語るべきではないのだろうけど、新葉のために、また、お腹を空かせた虫たちのためにボロボロになった葉を見ていると、その無惨な姿に、利他心、自己犠牲の精神を投影せずにはいられなかった。今昔物語に出てくる逸話、帝釈天が化けた老人を助けるために、火の中に飛び込み、自分の体を食べさせようとした「月兎」のような、捨身。死の美学。もともとそういう美学が内包されているから、心を奪われたのか、心を奪われたから、美学が紡がれたのか、どちらが先なのかは、よくわからないのだけど。とにかく自分のちっぽけな価値観を揺るがす月の兎が、一見無駄死にの、この穴だらけの暗幕の奧に見えたような気がしたのだ。




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