家の近くでトンネル工事が始まった。杉の木がなぎ倒されて、山肌の一部が伐採された。その工事のために、猩々の森(勝手に名付けた秘密の森)へと続く山道が消えた。むき出しになった山肌や、転がった無数の杉の木を見ながら、いろんなことを考えていた。もし自分が地元住民の声を聞く立場だったら、もし自分がここの工事を請け負った土建屋さんだったとしたら、もし自分がトンネルの向こうの部落で暮らしていたとしたら、もし自分が森の精霊だったとしたら。自分は流れ者だし、ここに住みはじめた時点からすでに工事は着工されていたし、トンネルができれば便利になることは、実感としてわかる。だから偉そうなことは言えない。でもいろんなことを巡るように考えたあと、溜息のように、こう思った。「このような景色は、できるかぎり見たくない」と。
世の中にはふたつの世界があるような気がしている。そのふたつの世界は、けして交わることはない。だけど、寄り添うように同時に流れていて、いつもどこかで、干渉しあっている。豊かさとはなんぞやと、このむき出しの山肌は、自分に問いかけているように思えた。《答えてみろ》と、幽谷響の声
が聞こえた。
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