『はやくなおしてくれよ』と、夫婦で催促に来たのだと思った。『忘れないでおくれよ』と。昨日から描きはじめた雨乞いの瀧をモデルした作品も、夫婦の瀧。直す道具は持っているで、これはさっそく明日にでもいかなきゃと思った。そして今朝、雨乞いの瀧に向かった。大雨だった。
こじつけと言われれば、それまでである。それがどうしたと言われれば、どうもしない話である。だけどもこういう通路を、大切にしたい。
編みたいのだと思う。
ここにタヌキを置こうと一番はじめに思った人、ここに石段を積んだ人、このタヌキの置物を作った人、頭のないタヌキが気になっていた人、この置物の原料、石段に積もった苔、土、タヌキ、そして夫婦瀧。森羅万象に散らばった、それぞれの縁の糸をたぐり寄せて、一枚の織物を作りたいのだと思う。自分だけの織物、そのような物語を、はじめたいのだと思う。
そういえば昨日のタヌキもこんな顔をしていたなあ。
追伸
翌日もタヌキの再修復をしに雨乞いの瀧に行った。その夜のジョギングで、三匹のタヌキに遭遇した。緩いカーブの手前で、まるで待ちかまえるように、道路の真ん中で二匹、帰り道の森のなかで一匹を見た。『ありがとう』と言いに来てくれたのだと思った。去年もこの時期から走りはじめたが、春までにタヌキを見たのはたったの一度だけである。たまたま今年になってタヌキが増えただけである。たまたまタヌキのお地蔵をなおした日と重なっただけである。それだけなのだけど、底なしに深く考えられることがある。深く深く、考えられることがある。