森のなか。いい薪になりそうな細い枯れ木を見つけてチェーンソーで切ったら、前の杉の木にぶつかって、ななめに止まってしまった。こまった。
それで体重をかけて揺らしていたら、木の先端から、パラシュートみたいな大きな綿毛がたくさん降ってきた。タンポポにそっくりだけど、大きさが五倍くらいある。 揺らすたびに、たくさんの綿毛が、ふわりんこふわりんこと、まるで競いあうように、時間を引き延ばしたようなスローモーションで落ちてくる。それはもう、絶句するような美しさで、日がな一日、その光景が心から離れなかった。
その夜、それは白い毛玉の妖怪、ケサランパサランだと教えてもらった。その呪文のような響きに胸がときめいた。由来はスペイン語の「ケセラセラ」だとか、「袈裟羅・婆裟羅」(けさら・ばさら)という梵語だとか、いろいろ諸説あるらしい。とにかく朝を待って、もう一度森のなかへでかけた。さっそくななめの木を見つけて揺らしたら、ひとつだけ綿毛が飛び出して、風に乗って消えてしまった。もう一度揺らしたら、ふたつ飛び出して、風に乗って消えてしまった。それからはもう、揺らしても出てこなくなった。風に乗るのであちこちにちらばっていたけど、なんとかケサランパサランを捕獲することができた。妖怪ではなくて、妖精だなと思った。
追記 2014.12.6
寒くなってきた。薪で暖をとると、心まであったかくなるのは、火の霊がそばにいるからだと思う。散歩したり、星空を見あげたり。火を眺めたり、土に触れたり。そういうささいなことで、一時的であれ、たいがいの悩みが吹き飛ぶのは、具体的な自然(宇宙)に潜むなにかが、人間を救済しているからだろうと思う。
すきに切っていいと言われた山で、薪を手配するんだけど、斜め45度の斜面で、道なんてまるでなくて、好き放題に荒れている場所なのだけど、この森に入った瞬間に、スイッチが入るのが自分でもわかる。脳がフル回転する準備が整って、薪を作るという制約のなかに与えられた自由に、全細胞が歓喜する。次はどこに足を出すかとか、どの蔦を握るとか、足場が崩れたときや、蔦が切れたときにどうするかとか。いろんなことを一瞬で判断しないといけないので、脳がフル回転しているのだけど、確立論的に考えていては、先に進めないような場面においても、どんどん作業が進むのは、直観が働いているからとしか思えない。
人間に相手にされていないおかげで、手つかずの森は、ギラギラとしていて、未知数で、混沌としている。破綻しているこの自由な世界と私との接点が、火の霊との契約書であり、インスピレーションという形を借りた、約束の糸なのだと思う。そんな変成意識状態の斧で、時空を切り裂いた森の裂け目から、天使のような羽毛(ケセランパサラン)が降り注いできたとしたら、それはもう、杉のてっぺんにからみついた、蔦植物かなんかの種であると同時に、現代科学では説明できない、森の精霊であるという確信に、矛盾はない。
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