シンビジウムという花をいただい た。東南アジア原産の蘭で、花言 葉は「素朴」「飾らない心」とのこと。自分で花を買って飾ることはないので、もらうと気になってしまう。
野生の花や蕾は描けるんだけど、 飾っている花は、まだうまく描けな い。シンビジウムは長持ちするら しく、まだ綺麗に美しく咲いてる 。一輪を残して、目に届かない場 所に移した。花は霊性が強いので 、長く見てると、落ち着かなくな ってしまう。花に飲まれて、あり のままに見ることが、できなくな ってるのだと思う。
目の届く場所に、お気に入りの骨 とか石があると、気持ちが落ち着 くのだけど、花はちょっとソワソ ワする。たぶん自分のなかに、花 がないからだと思う。花が持って いる霊性を、自分は持っていない から、すこし緊張してしまう。恋 をしている状態によく似ている。
呼吸のように、していることを忘 れてしまうような、でもしていな いと、生きてはいられないような 関係でなければ、モチーフは呼応 してくれないような気がする。綺 麗なだけではなくて、ほんとうに 美しい花を描いている人は、そう いう関係を築いているのだと思う 。
精霊の森は、たしかに自分の中に ある。あの森は、五年前くらいに 見つけて、二年前くらいから描き はじめた。誰も知らない秘密の森 に、何度も通った。だから描くこ とができる。下手でもあまり気に ならないし、どこか心の底で納得 ができるのは、身体を通して、世 界と関係(約束)ができているか らだと思う。
あの森は、心のなかにある。そう いう場所を、いつも探しているよ うな気がする。都会にも、雑踏の なかにも、誰からも見過ごされて 、忘れさられたような真空に、そ の人だけに開示される、やさしい 秘密がある。精霊は、そういう場 所に宿る。いつかその森に、花が 咲くだろうと思う。
目の届く場所に、お気に入りの骨
呼吸のように、していることを忘
精霊の森は、たしかに自分の中に
あの森は、心のなかにある。そう
束の花は、いかにも豪華だけど、 一輪の花の方が、ずっと気が安ら ぐ。気が安らぐと、話ができる。話ができると、絵は描ける。
一輪を、朝の光の窓辺に、もう一 輪を、夕の光の窓辺に置いた。
花も人間も、集団より個の方が、 信用できる。一輪から放たれる霊 性は、不安を打ち消してくれる。 一対一になれると、一体になれる 。飾らない心に、花が咲く。
花(自然)が表現していることに 、耳をすませていると、知覚でき ない存在から、なにか語りかけら れているような気がする。見るものと見られるものの間に、 距離や空間はなく、ただ静かで広 大な時間が、そこにある。霊的な形や色を通して、その時間 を埋めるようにと、なにかが心に 、働きかけている。
なぜこんな形をしているのだろう か。なぜこんな色をしているのだ ろうか。誰にも答えられない。
一輪を、朝の光の窓辺に、もう一
花も人間も、集団より個の方が、
花(自然)が表現していることに
なぜこんな形をしているのだろう
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