不思議な夢を見た。剣山の山頂の 神社から、大きな蛇のような生命 体が、石段を壊しながら、うねう ねと山を降りている。最後まで姿 を見せなかったけど、あれは地中 に潜む龍だろうか。
最近は導かれるように図書館で手 にとった、アボリジニの本のなか に出てくるドリームタイム(夢見 )という言霊に、憑かれている。 もちろん夢見とは、寝て見る夢の ことを指しているのではなく、も っと広大な時間を現している。
遅読者なので、貸し出し期間を延 長して、やっと最後のページまで 辿り着いたのだけど、夢見という のは密教のような性質があって、 言葉だけでは語り切れない。夢見 が集合無意識や神話世界とも言い 切れないのは、それらもすべて物 語に含まれているような気がする から。宇宙以前にドリームタイム がある。ビックバン直前の、なに もないはずの真空に、はじまりも 終わりもない世界があって、私た ちの先祖はそこにいて繋がってい る。
精霊は大地に根付いている。彼ら は描くことを通して、精霊と繋が る。ウングワレーの絵を見たとき に感じた強烈な違和感の理由が、 いまはよくわかる。近代的な空間 とアートの文脈のなかで、繋がり を絶たれてしまった精霊の行方を 、いままで探していたのだと思う 。そしていままでもいまもこれか らも、探し続けていくのだと思う 。宇宙の可能性と生命の繋がりを 求めて。
アボリジニがなにより大切にして いる情緒は、思いやりである。ア ボリジニにとって思いやりの心と は、倫理を越えたものである。そ れは環境に寄せる共感や感情移入 の集大成ともいうべき感情なのだ 。(ロバート・ローラー著「アボリジ ニの世界」より)
なぜなら、怒りが怒りによって癒 されることはなく、怪我が怪我に よって癒されることはなく、憎し みが憎しみによって癒されること はないというのが、この世の真理 だからである。怒り、怪我、憎し みを癒すことができるのは、ただ 愛だけなのだ。(仏教経典「ダンマパダ」より)
最近は導かれるように図書館で手
遅読者なので、貸し出し期間を延
精霊は大地に根付いている。彼ら
アボリジニがなにより大切にして
なぜなら、怒りが怒りによって癒
P.S
徳島城公園にある竜王さんのクス は、地中から天に向かって飛び出 そうとする、龍の腕のような形を している。樹齢600年のこの大 樹は、1934年の室戸台風で、 一度倒れてしまった。でも人の一 生ほどの長い時間をかけて、這い あがるように、逞しく生きている 。何十年ぶりにここに来て、ああそうかと、腑に落ちた。
いつか見たあの夢が、現実にある 場所に繋がった。大きな樹の下に は、大きな時間がある。剣山から 降りてきた大蛇は、地中の暗闇を 泳いで、この場所に出た。地上の 光を浴びて龍に生まれ変わり、き っと天に還るのだろう。そしてい つかまた戻ってくる。夢と現実は 繋がって輪廻している。精霊はけして姿を見せずに、風景として暗示されている。
徳島城公園にある竜王さんのクス
いつか見たあの夢が、現実にある
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