秋から冬へのこの時期になると、薪の手配で毎日定期的に山に入る時間がある。短い時間でも手つかずの山(森)に入ると、忘れていたものを取り戻したような気がして、心身が満たされる。もし薪の心配がなくても、違う理由を探して山に入るだろう。森の中には、それぐらい大切なものがある。
なにか大切なものを忘れていると、無意識はそれを取り戻そうと欲する。衣食住は満たされているのに、決定的ななにかが足りないような、実体のない不安に苛まされて、焦ってしまう。内なる声を無視し続けていると、やがてなにを手に入れても満たされなくなり、心は枯れていく。友達はたくさんいるのに、なぜか寂しい。羨まれるような生活をしていても、なにか足りない。その溝を埋めるために、虚勢を張り、過剰を求める。大切なものに満たされているときは、なにもいらない。精霊が側にいるだけで、心は潤い、満たされる。
森は大いなる時間を生きて、叡智を保ち、創造し、思考している。もし個人に問いがあれば、一瞬で答えをくれる。自分を超えた大いなる時間の流れと、その創造性に触れることで、人間の魂の中に眠っている力が目覚める。大切なものとは、失われていたその繋がり。ミッシングリンク。
一本の木のように深く根を下ろせば、大地に住む存在は魂に語りかけてくる。木洩れ陽に意味が宿ると、天からは知らせが届く。失われた環とは、猿と人間ではなく、人と宇宙の間にある。それを繋ぐことで、あらゆるしがらみから解放されて、霊性に満たされた魂は、自由を獲得する。
手つかずの森で、いかにも絵になるような場所ではなくて、破綻していて、無秩序で、でもなぜだか強く惹かれる場所がある。人を寄せつけない風景なのに、まるで森の神さまに、魂をぐっと掴まれたように、そこから離れられない。森を抜けて、時が過ぎても、その印象からは逃れられない。
朽ちていく倒木は、寂しい風景ではない。それは新しい命のために、生き生きと輝いている。その輝きは霊光となって、暗い森を、青い光で満たしている。霊性に満たされた森は、魂の風景となって、蘇る。そういう絵を描きたい。
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