2011/05/26

色即是空


ついにすべての苔玉が枯れてしまった。残された苔玉受けは、贈り物にしたり、許可を得て森の中にある不動明王や哲玄法師や無縁仏の墓の横に、お香立てとして添えさせてもらった。


残った残骸を並べて眺めていたら、とても不思議な気持ちになった。流木と貝殻の上にはなにもないはずなのに、そこにあるはずのないものの、圧倒的な存在を感じた。


バナナの木で作られたバリ島のアルバムに、50の遺影写真を入れようと思う。タイトルは「色即是空」にした。実に大げさなのだけど、僕だけの一冊なので、かまいやしない。


僕が勝手に彼らに生を授け、消滅させたのだから、その責任は、今生で取らなければならない。その責任の取り方について、今、思い悩んでいるのだけど、遺影を見ていると、与えることしか知らない彼らの表情は、ただただ、もっと肩の力を抜けよと、微笑しているようにしか見えない。叱咤してほしいのだけど、そう見えてしまう。


2011/05/23

梔子の花

花が苦手だった。花よりも樹々、草や苔、森や山の豊かな緑の方が、圧倒的に好きだった。わざわざ奇抜な服を着て自分を主張する、あの目立ちたがり精神が嫌で、あえて避けていた。

ある朝、公園に咲いている梔子(くちなし)の花の匂いを嗅いだ。グールドの弾くブラームスのように官能的で、忘れられなくなるような、とてもいい香りで、強く印象に残った。それから注意していると、街中のありとあらゆる場所に梔子が植えてあるのに気づいた。

真夜中、誰もいない公園で、街灯の柑子色に淡く照らされている梔子の花弁に、顔を近づけてみた。すると、あのときと同じ香りがした。あれ?と思ったが、その不思議の理由が、そのときにはまだよくわからなかった。翌日も、また翌日も、一週間後も、一ヶ月後も、早朝でも、昼間でも、深夜でも、大雨の日でも、嵐の夜でも、灼熱の陽光の下でも、いつも同じ香りがした。そしてやっと、これがすごいことであることに気づいた。

いついかなるときにでも、同じ香りを提供してくれるということは、「誰からも存在を認められていないときにでも最高の香りを提供し続けている」ということだ。だとしたら梔子の花は、誰がための存在ではなく、「孤高」のエネルギーであり、命を全うしようとしているだけの、ごくシンプルだが、強烈な命の佇まいの現れなのだと、ハッと気づいた。与えられた命も短いからこそ、その大義は特別で、気高く、儚い。エネルギーを全開にする日々があるからこそ、自分のような偶然の訪問客に、一瞬の感動を与えることができる。奇抜な衣装をつけているのは、そのためなのだ。存在そのものが、「非日常」であり、咲いてから散るまでのその命の時間すべてが、かけがえのない、祭り事のような「ハレ」の舞台、神事だからこそ、花なのだ。

それから花を見る目が劇的に変わった。与えられるだけではなく、描くことによって、せめて間接的にでも与える立場に近付き、その生命の尊厳のようなものに触れて、襟を正したいと思った。そう考えたときには、梔子は数枚の強い花弁を残して、そのほとんどが枯れかかっていた。残った花弁に顔を近づけて、やや曖昧になった芳香を、けっして忘れないようにと、何度も何度も深呼吸するように鼻腔に擦りつけたはずなのだけど、今となってはもう、その香りがどんなものだったかを、思い出せずにいる。





2011/05/16

大義


2010年に入ったあたりから、自分がこの世からいなくなった後や、生まれてくる以前の世界のことを意識するようになった。いわゆる輪廻のようなイメージではなく、自分という器のようなものを度外しして、人間とは無関係に続いていく、大きな川のような流れのことを考えるようになった。それまでも意識していたとは思うけど、基本的には、今、この一瞬一瞬や、生きている時間がすべてだという想いが、大きな壁のように前提としてあったので、自分が此処にいることとは関係がなく、動いている大きなうねりのような流れのイメージを、頭ではわかっていても、リアリティがあるものとして、うまく俯瞰して、捕らえることができなかった。

こんなことを考えはじめたきっかけは、自分の作品にあった。僕は(作品をまとめて発表する際にシリーズとして同じテーマのものをもう一枚くらい描いておこうかな、という軽い計算がある以外は)一枚の絵を描く前に、はっきりとしたコンセプトを持っていなかった。なんとなくモチーフを選び、なんとなく描き始めていた。コンセプトは、描き終わったあとに、パズルを当てはめるようにして、こじつけていた。そもそも油絵に転向してからは自然の風景ばかり描いているけど、世捨て人のような生活をして似顔絵描きで食っていた頃は、まさか自分が自然を描くとは思っていなかったし、そんなものとは縁のない、俗な人間だと考えていた。また、そもそも絵描きなんだから、ブログなんて一生やるわけがないとも思っていた。しかし僕は、自分の描いた絵を俯瞰して、いったい自分がなぜこのような作品を作って、何処に行こうとしているのか、「激烈に」知りたくなった。だから言葉という絵具を用意して、twitterやブログという画布を準備して、絵を描くことと平行して、極私的な別の作品に取りかかった。

その制作(思考)過程で、ちっぽけな自分とは関係なく、たとえ死んで肉体がなくなったとしても、なにも変わらず続いていく大きな流れの源流のような存在を意識せざるを得なくなり、そうして意識していくうちに、意識することが習慣になり、習慣になってしまうと、目の前に起こるすべてのことが、今までとは違う、リアリティのある実感として感じ入るようになってきた。そんな思考過程の中で排除されていったのが、今、この瞬間にだけ目立とうとしている(ヒステリックな性質の)ものだった。それはテレビや、政治や、ファッションや、現代アートや、文学や、あらゆる藪の中に潜んでいた。逆に新たに入ってきたものもあった。それは(ごく一部の)写真だった。今この瞬間を捕らえたはずのものに、生まれる前の記憶や、まだ訪れていない未来や、ありとあらゆる全体としての様子が佇んでいるような気がした。それらはけっして目立とうとせず、穏やかで、理由もなく心を揺さぶった。

そして2011年、その思考(制作)過程に、さらに拍車をかける出来事が起こった。偶然吹いた一陣の風によって、たまたま隣にあった蝋燭の火が消えた。僕はその風にあおられて、さらに炎を増す場所に在った。僕は隣の立ちのぼる煙を見て、ますます自分を殺すために、もっともっと生きたいと願うという矛盾した状態になった。僕はそれが描くことに繋がっているけど、人によってそれぞれの大義がその人の生命力の指針に直結しているんだと思う。

自分が無くなって消えてしまえば、なにがどうあろうが、関係がない、とは、ある意味、正論だと思う。我思うゆえに、我あるのだとしたら。しかしそれでは、おもしろくない。自分が無くなって消えてしまうからこそ、関係が発生するものにコミットすることにこそ、生きる醍醐味があるのではないだろうか。大義はそこに近付き、関係を持つためにもっとも適した、それぞれの地図のようなものなのかもしれない。






2011/05/04

剣山

剣山に登った。麓と山頂の神社で、手を合わせた。いつもそうなのだけれど、うまく祈ることができない。

鈴を鳴らし、お賽銭を入れるまでは、自意識があるのだけど、手を合わせて目を瞑った途端に、頭の中が空っぽになり、自意識が吹っ飛んでしまう。なにかを願おうと準備はしていても、手を合わせて目を瞑ると、白紙になってしまう。「なにを祈ったの?」と聞かれても、「なにも」としか答えられない。もちろん無理矢理に思考して、準備していた言葉を、強引に頭に並べることはできる。しかしそれをすると、たちまち強い違和感が生じて、居心地が悪くなってしまう。たかだかちっぽけな自分の願いを神仏の前にさらけだすことに、強い逡巡があるのだと思う。

とにかく手を合わせた後は、すっきりしている。±0になる。という表現が一番近しいのかもしれない。気がつかないうちに狂ってしまった電波時計の針を、ボタンひとつで戻したときのような、リスタート感があり、揺るぎないなにかに指針を合わせてもらって、心身ともに更新される快感がある。

これが自分のできる「祈る」ということなら、それはそれでいいと思っている。誰がためにはできなくとも、ときどき時計の針を合わそうと思う。