山道をバイクで走っていると、ときどきだけど、車に無茶な追い越 しをかけられる。自分もしかたなく追い越しをかけることもある のだけど、トロトロ走るのが好きだから、めったにしない。前に遅い車があったら、(失礼だけど)ちょっと微笑ましいような、かわいいなあ、という気持ちになる。そうやってハッと気がつくと、じりじり車間が詰まってしまって、前の車が進路を譲ってくれるという申し訳ない状況です。人それぞれに好みのスピードがあるのだろうから、抜きたい人は抜けばいいと思うし、我が道をゆけばいいと思う。ただし 対向車線の無理な追い越しだと、関係ないはずのこちらの方にこそ、 正面衝突の危険があり、しゃれにならない。車は馬ではなく、人 の手で便利なように都合良く作られた鉄の塊で、自分が気持よくな りたいだけの乱暴な手綱さばきは、無関係のひとを傷つけるから、そういうデリカシーのなさは許せない。とにかく追 い越しをかけられると、いつもいろいろ考えてしまい、変な気持ち になる。たとえば車が国家だったとしたら、どうだろう。道が 人生だったら、どうだろう。とか。手綱をさばく人間の都合で、寄 り道もままならず、途中下車も許されず、ただ過剰な緊張を強いられて、まわりの景色や会話も楽 しめない速さで、タヌキやイタチをはねて、いったいどこに辿り着くのだろ うか、とか。
高三から(ちゃんと免許を取って)バイクに乗り続けているし、ツーリング好 きなので、スピードの魅力は痛いほど知っているつもりだ。それは理性では押さえられない、魔性のこと。人の心の奥の奥に は、自己犠牲をいとわない思いやりの心と、手のつけられない魔物 が、同居しているのだと思う。そのような複雑さを知っていて いるひとは、過去に通った道すじや、まわりの景色に対して敏感に なり、無茶な追い越しをかけたりはしないのだと思う。自分と 戦うから。
高三から(ちゃんと免許を取って)バイクに乗り続けているし、ツーリング好
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昨日の朝、僕はのんびり走りたかったので、緩い内カーブで、車体を路肩に寄せて、後ろから車間を詰めていた車に進路
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