ひさしぶりの雨。空と山肌が眠るように暗い色調に沈んで、ホワイトノイズを奏でる雨音が、小さな生活と住処をやわらかく綴じこめて、孤独に火を灯してくれる。
水の戯れはおもしろい。水を見るのが好きで、覚えている範囲で一番最初の体験は洗濯機の渦。あれを幼少のころに見ていて、あの吸い込まれるような胸のときめきが健在している。大海に溶けていくような恍惚、目眩、離人感。花とか樹とか山とか森を見ていると、見ていたはずが、見られていた、という知覚の反転体験が起きるのだけど、水はそうはならない。メッセージはあるのだけど、見られている、とは感じない。風も、雨も、雪も。瀧のように、山や谷との関係性を含めて見れば眼(瀧なら龍)を感じるのだけど、水そのものからは眼を感じない。花とか樹は、その命にはじまりと終わりがあり、骨格や皮膚もあり、生命として自立した佇まいがある。水にはそのようなとらえどころがなく、源(みなもと)としての自分を観察している気持ちになっているのだと思う。だから眼を感じずに、そのまま永遠に向かって墜ちていくような感覚になる。 主客一体、梵我一如。
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