2013/03/15

豊かさとは

いつも使ってる市販のペーパーパレット(25枚で300円くらい)が切れてしまって、わざわざそれだけを買いに行くのが面倒で、代用に牛乳の紙パックの裏を使っていたら、これがひじょうに使いやすくて、今も何枚かストックしている。市販のものより持ちやすく、回転させやすく、正方形なので使いやすい。徳を得たようで、ちょっと気分がよくなった。なぜなら、節約でもなんでもなく、もしかしてこれは使えるんじゃないだろうかと、なんとなく試みたものが、値段をつけて大量生産されているものよりも、実際に使いやすかったから。してやったり、という気持ち。捨てられる運命に光を当てる喜びをもてたうえに、既にそこにあるものを見過ごしていて、まんまと使いにくいものを買わされていた自分を、鏡で見ることができた。

ひじょうに地味で、極私的な小さな出来事だけど、こういうささいなことに神々は宿る。お店に行くと、紙パックに注目するようになった。牛乳を見ると、白い液体の入ったパレットに見える。無関係であるはずの通路が、あるささいな発見によって、Y字路のように結びつき、関係性を持つことで、広がっていく世界がある。路傍に咲いたごく小さな青い花も、ある人にはただの青い点々にしか見えなくても、ある人にはなぐさめになり、今生の救いになりえる。もしも家族も友達も家も財産もすべて失って、たった独りで養老院を過ごす一日のなかに、春うららかに、そのけなげに咲く小さな青い花の存在に、どれだけ救われることだろう。来年も咲いておくれよ、また来年も変わらずにと、その先も、ずっとその先もと、生きる勇気が沸いてくるのではないだろうか。既にそこにあるもの、その見過ごされていく小さな姿に、結びついて広がっていく世界が、自分のなかにあるかどうか。豊かさとは、生活が楽になるかどうかではなく、たとえすべてを失っても、生きているというその身ひとつで繋がっていける、深遠な世界があることを信じることができるかどうかではないだろうか。




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