2014/07/16

石の声



最近、河原でよくこういう石たちを見かける。

置き手紙みたいで、胸がときめく。メッセージを感じてしまう。たしかにそこにいた人のぬくもりがあり、形そのものの神秘性もある。作った人はそこにいなくても、時空が違うだけで、意思は残っている。儚くて、いまにも壊れそうに、あやうい。

天文学的な要素や呪術性はないにしても、表現のルーツって感じがする。たとえ作家が此の世にいなくても、残された作品に意思は残っている。そこにいたぬくもりを、すぐそばに感じることができる。その意思を継ぐものがいる。いつの時代にも必要な意思(魂)なら、何世代にも渡って受け継がれていく。表現ってそういうものだと思う。河原の石碑のように、誰が作ったかとか、ほんとうは関係ないのだと思う。積みあげた石そのものに宿る意思は、自由だと思うから。

たとえばこの石は勝手に立ちあがって、こんなふうになっちゃったんだよって誰かに言われても、その人を愚かだと、笑い飛ばしていいのだろうか。もしかしたらこの石たちは、こんなふうに立ちあがりたくて、その石の声が聞こえる人が、その通りにしてあげたのなら、それは石そのものの念動力(テレキネシス)であり、総和的な自然の表現。人間も自然の一部であることを、立ちあがった石は証明していることになる。
 






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