2020/03/28

この世の終わりと始まりに


3/10 

水晶のプリント実験をしようと思って、和紙の整理をしていたら、使い切っていたと思っていた廃盤の和紙が数枚だけ出てきた。さっそく昨夜の雨で実験したら、美しいブルーが浮かんできてびっくり。

 
昨日の真夜中、突然すごい嵐になったのは、アルケミストがまた来てくれた徴だったんだな。少年は自分を風に変えた。

「僕はまだ、どうすれば自分が風になれるのかわかりません」と少年は同じことを繰り返した。
「わしがおまえに言ったことを憶えておきなさい。世界は、神の、目に見える側面にすぎない。そして、錬金術とは、魂の完全性を物質界にもたらすことなのだ」

パウロ・コエーリョ著『アルケミスト』より

反転印刷した水晶も実験してみた。繊細だけど、透き通ったブルーがゆっくり浮かんできた。この和紙は製造元にも在庫がないことを確認したし、もう二度と再現できない。一期一会。だからこそ、この人知を超えた美しい偶然を、大切に思う。
 

 
3/11
 
UV防止スプレーとニスをかけて天日干し。なにか思い出すような色だなぁと考えていたら、ラブラドライトだと気がついた。水晶の家にラブラドライトの光。もし魂(霊感)にカタチがあったら、こういうふうに見えるだろうな。
 
原画を超えていて、もはや絵とは思えない。雨水に浸しただけで、自然にこんな色になるなんて。あまりに綺麗なので全作品をデータ保存しておこうと思ったのだけど、拒否されているらしく、スキャナーでもカメラ撮影でも微妙な色が飛んで、質感が映らない。ただし、接写(虫の眼)だと本質に近づく。
 
霊性が外に向かって放射していく生命の樹とは違って、機械の目を拒否するこの水晶には、内に秘めた魂の輝きがある。自己矛盾しているのだけど、誰にも見せずに、こっそりと眺めていたいような甘い誘惑がある。自分の作品(原画)なら恥ずかしくて褒められないけど、この水晶は違う。無意識に従っているだけで、自分ではなにもしていない。描いたのは自分ではなく、自然。自動書記(チャネリング)のように宇宙から与えられた美に関しては、人間には言語化して翻訳する義務が発生する。
 
水晶の絵をprintする実験は、以前から何度も何度も繰り返していた。でもいつもうまくいかず、和紙と水晶は相性がよくないのだろうなと諦めていた。だから真っ白な和紙から自然に色が生まれたときは驚いた。虫の眼になって、それが彼方と此方を結ぶ架け橋だとわかった。その虹がかかっている場所を、個人的な体験で、これ以上深く表現するのは、難しいなと思っていた。でも人知を超えた美しい偶然が、本人の見知らぬ場所でも再現されているなら、その虹は原始心象にかかっている。内なる宇宙には、意識の感応を物質世界にまで伝える、力と波とリズムがある。
 
 
 
3/14

縁の汚れが気になるので、マット(窓)を作って額装することに。一から額を作るのは厳しいので、既製額をすこし改造。壁に飾れるように吊り金具をつけて、作品の大きさに合わせてマットを自作。絵が引き締まっていい感じに。木とガラスに守られて、やっと落ちついてきた感じ。
 
 
 
3/20
 
今日は素晴らしい一日。朝から山越えして別件の和紙を買いに行ったら、大量の和紙に混じって、廃盤になったはずのアウトレット和紙そっくりの紙があった。でも廃盤で在庫もないとメールで確認したはずなので店員に聞いたら、その和紙だけは名前もナンバーもなくて、よくわからないとのこと。たぶん種類が大量にありすぎて(100種類以上)、店員さんもよくわからずに混じっていたのだと思う。でもほんとうに探していた和紙か試してみないとわからないので、在庫限りの3セットのうち、1セットだけ買って家で試したら、ほぼ同じ結果が出た。他の水晶の絵も試してみたけど、条件が同じでも、なぜか綺麗に色が出てこない。どうやらカタチに色が宿っているらしい。
 
そもそもこの水晶印刷実験そのものが、あるはずがないと思っていた最後の廃盤和紙が、なぜか別の袋に入って残っていた(なぜそんなことをしていたのか記憶にない)ことから始まった。この和紙以外では、奇跡が起こらない。だから毎回これが最後という緊張感があった。それがいい結果を生んだのだと思う。
 
個人的すぎて、こうして文章にしても、誰にも臨場感は伝わらないのかもしれない。でもまさかまさかの連続で、なにかに導かれて、作らされたとしか思えない。今日、2020年3月20日はマヤ暦とインド歴の終わりで、人類滅亡などと騒がれているが、滅亡どころか、再生の日に違いない。終わりではなく、始まる。この世の終わりと始まりに、水晶はカミの上に再来した。
 
『少年はクリスタル職人のことを思った。彼は「おまえにとって、クリスタルを磨くことは、否定的な考えから自分を自由にすることなのだよ」と言った。少年はますます、錬金術は日常の生活の中で学ぶことができると確信した』
 
3/21
 
水晶がすごいポテンシャル。朝から実験しているけど、翡翠のようなエメラルドグリーンしか出てこない。これはこれで美しい。昨日は赤が強く出ていた。条件が同じなのに、毎回違う結果が出るのが楽しい。なにか計り知れない力が作用していて、霊界(いまここ)で、光と闇がせめぎ合っているのが目に見えてわかる。
 
 
午後からの実験。まったく条件が同じなのに、すべて抜け殻のようになっていて、見事に一枚も魂が入っていない失敗作。入ったのは昨日の試し刷りだけ。ただし午前中の作品だけはすごい。たぶん水晶に入っていた魂が、最後に燃え尽きる一瞬を目撃したのだろう。見た目はほとんど同じでも、カミに魂(霊)が入ってるかどうかはよくわかる。たぶんこれ以上実験を繰り返しても、奇跡は起こらない。それはがっかりすることではなく、実は作品に生命が宿っていた証であり、素晴らしいこと。「宝物は流れる水の力によっと姿を現し、また同じ流れによって姿を隠す」のだから。
 

右が今日の午前で、左が午後の実験結果。紙、プリンターの設定、インクの残量、雨水、水に浸す時間、光の当て方、条件がすべて同じなのに、この違い。つまり浮かんでくるのは、色に変換された霊的ポテンシャルであり、心の中の色彩。シュタイナーの色彩論によると、青は殻を作り、内に輝く魂の輝き。まさに水晶はそれであった。そこに霊と生命の輝きが加わり、死せる像である緑に充満して、内光が殻を破った。偶然にもお彼岸、魂が還ってくるその日に。
 
 
 
3/22
 
クリスタルの作品を誰でも購入できるようにprint作品に入れようと思っていたのだけど、自然に浮かんでくる色なので、出来上がりにムラがあって、納得できるものが少ない。それで昨日失敗した作品の上に、プリンターのインクを水で薄めて筆で加筆してみたら、すごくザワザワして、嫌な胸騒ぎがした。結論から言うと、加筆はうまくいった。他人が見れば、最初に出来た作品と、見分けがつかないだろう。でも嫌な胸騒ぎが止まらない。この作品の色彩は、自然が描いたから価値があり、美しい。つまり自分で後から手を加えることは、真実を歪めることであり、自分で自分に嘘をつくことになる。
 
自分で自分に嘘をつくと、内側から魂が歪んでいく。この歪みを放置していると、自分に嘘をついて生きていることすら、わからなくなる。たとえば山でこっそりゴミを捨てようとすると、この胸騒ぎが起きる。誰も見ていなくても、内側から真実が見ている。誰も見ていないからこそ、全てを見られている。
 
魂が歪んでいくのを放置していると、実際に身体にも症状が現れ、その歪みが大きくなると、世界全体にも症状が現れる。それは外部を治療しても治らない。内面から歪みに気づいたら、外部に閉じこめられた「わたし」を、大いなる流れの方に解放してあげた方がいい。その流れに満たされた個人の魂の回復は、世界全体の歪みを修復する。
 
嫌な胸騒ぎを感じたなら、胸騒ぎをしている方ではなく、それを感じている「わたし」の中に自然があり、真実がある。その真実を妬む世界に、魂を盗まれたとしても、恐れることはない。世界から魂を取り戻すまでもなく、その真実は「あなた」がいる限り、けして「わたし」から消えたりしないのだから。
 
3/26
 
店頭に紛れこんだ残りのアウトレット和紙を買いに和紙屋さんへ。誰も買うはずがないので、残り2セットを買い占めた。マスクや食料ではないので、罪悪感はまったくない。むしろ紙が喜んでいるらしく、幸福感に満たされていた。この紙だけ名前がついていなかったので、易紙(えきがみ)と名づけた。ちょうど易紙を手にとって見ているときに、突然店内に犬が入ってきた。ピートという名前のグレーの室内犬で、足下にまとわりついて離れない。これはサインだなとすぐに気がついた。「前兆に気がつくようになるのだよ。そして、それに従って行きなさい」と王様は言ったのだ。
 
新型コロナウイルスを巡るニュースを見ていて、なぜ突然なくなったはずの易紙が現れて、水晶に内に秘められた色彩が宿り、そしてなぜこの世の終わりと始まりに水晶が再来し、破水したのか、わかったような気がした。なぜ自然はウイルスを作り出したのか。易紙は人知を超えた美しい偶然を装って、この状況を予言していた。
 
自然は人間と新しく霊的な関係を結ぶために、混沌と機能停止を作り出す必要に迫られていたのだろう。その空白に新しい創造の力を産み出すために、水晶は自らの殻を破って破水した。なぜ自然(あなた)はウイルスを作り出したのか?と考えるとき、その自然は外側ではなく「わたし」の中に輝いている。その輝きを世界に取り戻すために、「あなた」の中に在る水晶を探して、内に秘められていた色彩は放射した。この世の終わりと始まりに。
 
※この作品はshopから購入可能です。
 
 
 

2020/02/16

stay gold

 
再来
 
アウトレット雲竜和紙に印刷した生命の樹を、溜めていた雨水に浮かべてしばらく放置していたら、黄金が浮かびあがってきた。なんでこうなるのかわからないのだけど、これってまさに錬金術。ちょうど粉雪が舞い始めたのは、天からのサインだろう。stay gold、アルケミストがまた来てくれた。
 
 
 変容
 
しばらくすると、突然goldが出なくなって、玉虫色のような不思議な色に。紙、インク、プリンター、水、すべて同じ条件なのに、どうなってんだろう。退色を防ぐ効果も兼ねて、表面に薄くゴールドスプレーをかけて定着させてみた。stay(定着)gold(黄金)。
 




蘇生
 
実験中、また突然goldが出現。でも夢中になり過ぎて、紙が残り僅か。他の紙ではこの現象は現れない。この雲竜紙は絶版で、なくなればもう手に入らない。でもこの一瞬が永遠、すべてやり切る。


 

対話
 
「あなたはなぜ錬金術師と呼ばれているのですか?」
 
「錬金術師だからさ」
 
「では、他の錬金術師が金を作ろうとしても作れなかったのは、なにが間違っていたのですか?」
 
「彼らはただ金を探しているのだ」
 
「彼らは自分たちの運命の宝物だけを求めていて、実際に運命を生きたいとは思っていないのだ」
 
「おまえはもう、錬金術を知っている。それは大いなる魂とつながることであり、おまえのためにとってある宝物を発見するということなのだ」
 
「おまえの心があるところに、おまえの宝物が見つかる」
 
「おまえの宝物がある場所に、おまえの心もある」
 
アルケミストより
 
tree of life (合流)
 
せっかくなのでtree of life も制作。雨が降りはじめたので、雨水を当てる。なんだろう、ここ数週間は生命の樹に取り憑かれている。カタチに生命が宿って、指南されているような。なにかに背中を押されていて、それに応じる喜びに満たされてる。自然や精霊に指南されると、作業そのものに物語が宿り、スリルや喜びが満ちていて楽しい。
 

精霊の泉にて、一晩雨に晒した生命の樹を、水に浸して魂を定着させる。なぜか一枚だけ何度引き上げても沈んでしまうので、そのまま泉に放置した。きっと一枚欲しかったんだろうな。




生命の樹に黄金が見えたとき、stay gold という言葉がすっと降りてきた。「stay」と「gold」という単語がはじめて一緒に使われたのは、ロバート・フロストという詩人の「Nothing gold can stay」らしい。
 
Nature’s first green is gold,
Her hardest hue to hold.
Her early leaf’s a flower;
But only so an hour.
Then leaf subsides to leaf.
So Eden sank to grief,
So dawn goes down to day.
Nothing gold can stay.
 
自然の最初の色は黄金。
大いなる母の最も強い色合い。
自然の最初の葉は花。
しかし一時間で枯れていく。
葉は葉に沈みゆく。
そしてエデンは悲しみにくれ、
夜明けは今日になる。
黄金のままではいられない。
 
映画アウトサイダーでも、スティービーワンダーの曲でもgoldとは「お金」「成功」「美しさ」ではなく、むしろ真逆のニュアンス、「若さ」「子供」「純粋」「無垢」「初々しさ」「青春」の意味で使われている。
 
錬金術で生まれたのは、グラムいくらで売買されている金のことではなく、アウトレットで投げ売りされていた雲竜紙と、安物の互換インク、ジャンク扱いの実験用プリンターという問題児同士の組み合わせによって生まれた、奇跡のように見える金色、「内なる輝き」のことを指している。
 
goldとは「内なる輝き」。stayとは、それを保ち続けろという、光のメッセージ。
 
※この作品はこちらから購入可能です→stay gold




 

2019/11/26

不思議な切株

川辺に謎の切株が出現。一週間くらい前まではなかった。人が運べるような大きさではないし、なんでこんな不思議な場所に?歩いてきたのかなぁ。

この場所は橋の下で、外からは見えないんだけど、流れ着くほど雨は降ってないし、上から落ちてきたにしては、ここでこんな形で止まるのはかなり変。かなり大きいので、重機使わないと運ぶのは難しいから、誰かが置いたとしたら、その人は人間ではないだろう。



 
たまたま一週間くらい前から制作していた作品が、こういう形の大樹だった。想いが現象化したのだろうな。
 
 
人が座っているような形の謎の切り株(流木)は、彼岸からメッセージを伝えに来た精霊のようで、見れば見るほど不思議な気持ちになる。
 
ふと降りてきた言葉は『絵で世界を救え』。
 
 
と、ここまで抑えきれない想いのままに書いたところで、竈馬が右手から右肩に向かって登ってきてびっくり。締め切った部屋の、何処から入って来たのだろうか。そしてこのタイミング。竈馬は別名カミノツカイ。
 

 
絵で世界を救え。そんなことができるのだろうか?

でもさすがは自然神。「絵で食えるようになれ」とか「有名になれ」とか「もっと上手く描け」とか、そんな小さなことは言わない。

世界を救うという巨大なビジョンなら、死ぬまでモチベーションは下がらない。達成できたかはどうかは、後世が判断すれば良いのだから。


2019/11/20

流木と狂人

海へ。

流木と追憶の森のシンクロに気づいてはっとした。気の遠くなるような時間の海を越えて、この砂浜に辿り着いた流木は、研ぎ澄まされた森の記憶。追い求めていた森の記憶は、神秘的な力で大海を渡ってきた。

 

 
 
 
 
帰ろうとしたら、出口を塞ぐように一匹の野良猫が。かまっていたらどんどん増えて、五匹の猫に。猫の出現は魔法のように、この世界に介在する神秘的な力を暗示している。
 
 


海に行く予定ではなかった。
 
用事で近くを通ったときに、強い力に引き寄せられてしまった。ほとんど無意識に、目的もなく、自分の意志でもなく海岸に辿り着くのは、流木か狂人だけだろう。
 
なにも期待せずに、なにも求めずに、ただ内なる声に応えて動いていると、やがて無意識は理由を求めて、なにもないところから、なにかを生みはじめる。これが創造の種だと思う。種は自分の中にある。
 
 
 
 

 
 

2019/11/03

ミッシングリンク

秋から冬へのこの時期になると、薪の手配で毎日定期的に山に入る時間がある。短い時間でも手つかずの山(森)に入ると、忘れていたものを取り戻したような気がして、心身が満たされる。もし薪の心配がなくても、違う理由を探して山に入るだろう。森の中には、それぐらい大切なものがある。

なにか大切なものを忘れていると、無意識はそれを取り戻そうと欲する。衣食住は満たされているのに、決定的ななにかが足りないような、実体のない不安に苛まされて、焦ってしまう。内なる声を無視し続けていると、やがてなにを手に入れても満たされなくなり、心は枯れていく。友達はたくさんいるのに、なぜか寂しい。羨まれるような生活をしていても、なにか足りない。その溝を埋めるために、虚勢を張り、過剰を求める。大切なものに満たされているときは、なにもいらない。精霊が側にいるだけで、心は潤い、満たされる。

森は大いなる時間を生きて、叡智を保ち、創造し、思考している。もし個人に問いがあれば、一瞬で答えをくれる。自分を超えた大いなる時間の流れと、その創造性に触れることで、人間の魂の中に眠っている力が目覚める。大切なものとは、失われていたその繋がり。ミッシングリンク。

一本の木のように深く根を下ろせば、大地に住む存在は魂に語りかけてくる。木洩れ陽に意味が宿ると、天からは知らせが届く。失われた環とは、猿と人間ではなく、人と宇宙の間にある。それを繋ぐことで、あらゆるしがらみから解放されて、霊性に満たされた魂は、自由を獲得する。

手つかずの森で、いかにも絵になるような場所ではなくて、破綻していて、無秩序で、でもなぜだか強く惹かれる場所がある。人を寄せつけない風景なのに、まるで森の神さまに、魂をぐっと掴まれたように、そこから離れられない。森を抜けて、時が過ぎても、その印象からは逃れられない。

朽ちていく倒木は、寂しい風景ではない。それは新しい命のために、生き生きと輝いている。その輝きは霊光となって、暗い森を、青い光で満たしている。霊性に満たされた森は、魂の風景となって、蘇る。そういう絵を描きたい。

2019/07/05

蘇る樹海

和紙を使った印刷の実験。顔料インクとの相性はすごくいい。和紙にもたくさん種類があって、それぞれ個性が違うので、絵によってどの紙が合うのか模索中。うまくできたら購入できるようにしようかと思う。どんどんやれって、なにかに背中押されてる感じ。
 
 
画集を購入してくれた方が、おまけに送ったポストカードを祠や自作の額箱に飾ってくれていたのがプリント販売のきっかけだった。友達にもポストカードを送りたいから、もう一冊買おうとしたので、いやいや、それだったらもっとちゃんとした額装できるものを作るからと約束した。
 
そもそも本人も忘れかけていた、十何年も前の画集に問い合わせがあるのも不思議だった。一度死んだあの本が蘇るなら、樹海シリーズも蘇えらせてみたいと思った。アウトドア用カメラしか持ってないけど、幸い樹海は撮影してもらっていたデータがあった。なにもかも、今この瞬間のために揃っていた。

プロが使うような高性能、高画質プリンターではないので失敗が多く、一枚一枚『頑張れ!』と祈るような気持ちで見守ってる。たぶんここで作品に念(想い)が入ってる。外注という選択肢もあったのだけど、自分で失敗したり感動したり、試行錯誤したかった。本人が感動しないと、想いは人に伝わらない。
 
 
上手く刷れた作品の上に、有害なベンゼン、トルエン、キシレンを含まないニスを薄く噴射して乾かし、その作業を何回も重ねていく。この工程を加えることで、高級プリンターのクオリティに引けを取らない作品に仕上げる。写真には映らないような、ニスの強弱を微妙に調整して、森の中に艶を与える。

陽光には雲流という薄い和紙を使った。雲が流れるような楮(こうぞ)の繊維が、陽光の下で精霊のように自由に泳ぎまわっている。組み合わせの妙だと思う。この絵にはこの和紙しかなかった。絵がカミを呼んだ。
 

価格は阿波紙出力サービスを参考にした。A4出力1600円+紙代と送料と諸経費400円の一枚2000円。プリンターの性能の違いは手作業によってカバー。作品料は含まない。なお陽光は失敗が多く、数が少ないのでセットのみの販売とした。
 
 
ギャラリーで額入りで販売すると、額装代、場所代、広告費、人件費などが上乗せされて最低でも0がひとつ増える。知名度が上乗せされると、00か000がつく。このプリント作品の価値は±0に設定している。作品のほんとうの価値は、見ている人が決める。
 
浮世絵などに馴染み深い日本人には、このサイズが気持ちいい感じがする。印刷だけど、扉(gate)の役目は果たせると自負している。本来芸術は万人に開かれた扉、自分の作品だと思って育ててくれる人のみ、届けたかった。
 
プリントがすこしまとまってきたから、そろそろ誰でも購入できるようにしようかと、先週の土日にゆっくり考えて注文してくれればいいなというくらいの気持ちで、金曜の朝にささっとサイト作って午後にアップしたら、注文が一度に集中して、その日のうちに在庫がなくなってびっくりした。
 
嬉しいんだけど、混乱してた。自分の力じゃないなあと思った。作家さんに聞いてみたら、みんな一緒に作ってる気持ちになってるんだよ。と言われてハッとした。そんなに意識してるつもりないけど、制作で感じたことは(自分事じゃない気がして)その都度SNSに書いてしまうので、結果ずっとプロモーションになってたんだなと思った。
 
試行錯誤したプリントを、高価ではなくても、綺麗に丁寧に額装すると、絵も喜んでくれた。森は神気を帯び、陽光には精霊が舞った。大きな油絵は小さな浮世絵として新たなる質感で蘇った。なにより本人が感動してる。この想いが波動になって、集合無意識に伝わったんだなあと思う。
 
絵を描かなくても、人は死なない。農家や漁師さんの仕事とは違うから。でも人間はそれだけでは、心が枯れてしまう。だから心に栄養を与えるために、みな作り続ける。心が枯れてしまわないように、心が元気(±0)になりますように。
 
 
樹海シリーズ
 
(後日再販します)
 
 
 

2019/06/16

生命の誕生

カタカムナウタヒ第5首

ヒフミヨイ 
マワリテメクル 
ムナヤコト 
アウノスヘシ
カタチサキ


預言めいた7首の造化三神を描いたあと、5首6首も描かなければいけないという強い想いだけで、第5首を描き進めていた。ほとんど仕上がったので、窓の外で画面にスプレーの定着液をかけて、乾かして放置していたら、ナメクジが画面の右上から降りてきて、十の真ん中を通り、「ア(感じる・生命)」の文字の上に張り付いてた。しかもちゃんと図形どおりに曲がろうとしている。


数日後、発注していたカタカムナ研究家の吉野信子さんの本が届いたので、さっそく読んでいたら、第5首が表している内容は、地球が誕生してから次元上昇し、最初の命が生まれるまでの「生み(産み)の実態」だとわかった。まだ唄の意味を理解していない段階で、銀河と銀河が衝突して、これから渦が生まれる(産まれる)場面を先に描いていたので、不思議な気持ちになった。時(霊感)は過去から未来ではなく、未来から過去へと流れていると直感した。


『カタカムナ 言霊の超法則』によると、第5、6首は繋がっていて、まだ描いていない第6首は「人間の誕生」を表すらしい。するとあのナメクジが「ア(感じる・生命)」の文字の上に張り付いてた理由もよくわかる。虫から人間へ、生命を繋ぎに来ていたのだ。

吉野さん本人にこのことを伝えたところ、

『ナメクジとは、ナとメに引き寄る示し、という意味で、カタカムナの中心、つまり中に入ろうとするエネルギーを持っています。だからアから十のトのところにいるときに気づいたということは、カタカムナのメッセージです。カタカムナの中心は、ナとメが組み合わさってヤタノ鏡となっています。中にあるのは数字の九、まさにナメクジですね。感じているものが、現象化しているのでしょう』

と教えていただいた。

想いが現象化する、という言葉はよく聞くけど、人間の私利私欲だけが現象化するなら、この世界はとっくに壊れていただろう。想いとは、自我を超えた世界から、テレパシーで伝えられる宇宙の恋文。そのメッセージを真摯に受けとめて、自分の頭で理解し、考え抜き、現そうと試みる心の動きの中に、震源がある。

『その通りだと思います。長い目で見れば、人間の集合意識通りに動いていきます。でも集合意識は私達が作り出しているのですから、変えられます。皆んなの思いを大調和の渦にしたいと思っています』






2019/06/08

造化三神

『造化三神(ぞうかさんしん』とは、 古事記に記された最初に出現した神。アメノミナカヌシ、タカミムスヒ、カミムスヒの三神は、造化三神と呼ばれ(造化は創造の意)、天地を造り成した神とされている。80首からなるカタカムナの唄のなかで、第7首にはこの造化の三神が出てくる。

マカタマノ
アマノミナカヌシ
タカムスヒ
カムミムスヒ
ミスマルノタマ

金鳥山(カタカムナの森)のヤマモモの木を描いたあと、なにか足りないような気がして、何日も絵を見つめ続けていた。当初は光の玉のようなものを全体に描いていた。いま思うと、あれは木漏れ陽というより、ミスマルノタマ(高次元に繋がるときに現れる不思議な球体)だったのだろうと思う。


このままでもよかったのだけど、ストンと絵の底が抜けて、地下に暗黒が現れた。こうなると絵は描き手を置いて、独り歩きしてしまう。ヤマモモは門番のように此方と彼方の狭間に立ち、暗黒ではふたつの銀河が渦巻いた。



ここではじめてカタカムナの記号が頭に浮かんだ。唄の意味も知らずに、検索して拾った画像を参考にして、三神目の渦を描いている。それが第7首、造化の三神の唄だった。


唄の内容も造化三神も、すべて後から教えてもらったことだ。絵はたしかに本人が描いているのだけど、同時に描かされている。ヤマモモの木は直感の回路を通して、見えない世界の質感を伝えようとしている。

古事記もカタカムナ文明も詳しくはないけど、あの場所で感じた不思議な力のことだけはわかる。それは知識ではなく実感、頭だけではなく全身で感じたこと。そのリアリティが回路を繋ぎ、創造力に働きかけて予感を与える。スパイラルを描いた霊感が、実在するこの世界にシンクロニシティの火花を散らす。