2011/09/18

雨剣


豪雨の剣山、頂上付近は、立っているのがやっとの暴風雨だった。誰一人登山者ともすれ違わなかった。そして刀掛の松の周辺、風雨に揺れる一本の松の木を見ていたら、自分がどこかに消えてしまったように思えた。wild side(極私的であり、幅広い意味での、荒野)に入ったとき、ときどきこういう瞬間が訪れて、それを自分では啓示と受け止めていたのだけど、今回はいつもとは違い、なにか手がかりのようなものを感じていたので、下山したあと、つい先ほどの体験を追いながら考えていた。そしてぼんやりとだが、答えが出た。「自分が消える」とは即ち「ひとつの概念が消えた」せいではないだろうかと。四次元時空にいる人間は、三次元しか知覚できない(蟻が人間を把握できないように)。だから把握しやすいひとつの概念の物差しを当てて座標を作り、ここにいる場所を点として、世界(時空)を「私たちにとって、都合のいいように」把握しようとする態度を取っているのではないか。

だとすると、私たちは運命として逃れられない色眼鏡をかけていることになる。しかし、おそらく世界とは、普段、スクリーンに投影された映像を見て、それを現実だと思いこんでいるだけの幻影であり、私たちが認識しているものとは、もっと別の形をしているのだろうと思う。世界を本当に知りたければ、スクリーンの上を調べても、けっしてなにも得られないのだ。投影されたものではなく、その光源を調べるしかない。その光源とは、どこにあるのか。それは自分の中にあるのだろうと僕は思う。概念とは、我々の意識が創り出した物差しなのだから。

世界は私たちにとって都合のいいようには、存在していない。


2011/09/12

ロスコの部屋

ロンドンのテイトモダンで見た、マーク・ロスコの作品が忘れられない。お目当ては彼ではなかった。もちろん彼の名前は知っていたのだけど、美術の教科書で見た、その壁の染みのような暗い作品にはまったく興味が持てなかった。しかし僕は翌日も、また次の日も、テイトモダンに吸い寄せられ、ロスコルームと呼ばれる、彼の作品だけを飾った部屋の中心にいた。

人と同様、作品にも出逢い方と言うものがある。そのとき僕は初めての海外での滞在ということもあり、情熱よりも不安の方が大きかった。知りあいもいない。英語もカタコトだし、財布の中身も心許ない。滞在中、僕はほとんどの時間をギャラリーや美術館を見て回ることに使った。絵画なら、わかるという自負があった。共通の言語を求めることによって、少しでも不安を埋めようとしていたのだ。結果、自分を試すつもりが、誤魔化してばかりいた。滞在中、いけない土地に迷ってしまい、キッズたちに襲われて、命がけで逃げ出したこともあった。誰も助けてはくれなかった。トイレで破れた上着を捨て、汚れた服を洗った。その日もロスコの部屋に飛び込んだ。するとなにもかも忘れることができた。なにも言わないはずの画布がなにかを僕に語り、慰めてくれているように思えた。ロスコの部屋に入ったとき、僕はわかる、とか、わからない、とかの、認識を超えたものを感じていた。躯が先に反応して、頭がその反応の所以をまったく理解していなかった。それでもよかった。一人じゃないと思えることが救いだった。一見なんでもない画布のシミに、心が響き合い、共鳴していた。そしてロスコの部屋を出たあと、親友を失ったような、ひどく寂しい気持ちになった。そして帰り道、この作者は、この作品を創ったとき、さぞかし孤独だったんだろうなと思った。

日本に戻り、彼の事を調べた。あのとき見た作品群が、シーグラム・ビル内のレストラン「フォー・シーズンズ」に依頼されたものの、スノッブなレストランの雰囲気に幻滅し、作品がただただ金持ちの食事のアテにされて消費されるのを嫌い、契約を破棄したために宙づりになったという、いわく付きのシリーズだったことを知った。さらにその作品群の寄贈先をテイトギャラリー(現テイトモダン)に決めた直後、彼は自殺している。

彼の作品の本性は、印刷では「まったく伝わらない」と断言してもいいと、僕は思う。今、日本にいて彼の画集を見かけても、買うことはないだろうし、展覧会があったとしても、あのときを超える呼応は期待できない。それならば、思い出を抱えて、熟成して自分の糧にしようと思う。好きな画家は?影響を受けたアーティストは?と聞かれても、彼の名前を挙げることはないだろう。でも忘れられない、きっといつまでも。そういう出逢い方だった。

自分が描いているのは、ロスコの真逆、具象絵画だ。昨年、剣山シリーズで具象と抽象の境のようなものを試してみたが、「自分の中で」、失敗した。でも自ら決めてしまっていた展覧会を断る勇気もなく、自分を誤魔化して発表した。すると思いがけず好評だった。緻密に描ききらないという手法を取ったので、作品の価格を低く設定したせいか、小品が何点か売れてしまうという反作用も起こってしまった。これではこの先、道を誤る可能性がある、と思った。作品が評価されるのは嬉しいけど、自分に嘘はつけないと思った。自ら望むことがよくわからなくなって、得体のしれないものに飲み込まれてしまうような気がした。だから僕は一旦自分をリセットした。それにしてもなぜ当時、具象と抽象の境に疑問符を置いたのか、今となって思い返してみると、それはロスコの部屋で起こったことを、なんとか自分で理解しようと無意識で足掻いた傷痕だったように思う。結果、表層だけをこねくり回すという浅い実践だけで終わってしまったので、後悔が生じてしまったのだ。

あのとき異国で感じた、あの感応の正体。それは使い古されている言葉なのだけど、確かに「祈り」のようなものだったと思う。神仏に向かうときのような、手を合わせたときの神妙な気持ち。怖いと想う人の目には、ものすごく怖く映り、優しいと想う人の目にはには、ものすごく優しく映る。そして心から求めるものなら、ちゃんとそこに映る。そういう神道で言うところの「鏡」、仏教で言うところの密教像のような多面性が備わっていたように思う。日本に戻ってから、具象と抽象について考えてはみたが、納得のいく答えはでなかった。それどころか、何年も経っているというのに、いまだ、あの時の躯の反応に、頭がついてきていないままのような気がしている。今はもう吹っ切れていて、抽象に触れることはないが、それでもときどき、ふとあのときのことを思い出すことがある。そんなときはこんなふうに思う。今、自分はまったく別の方法で、自分にとって最良の方法で、あのときの一枚の画布のシミを、模写(写実)しているのだろうと。

追記

ロスコ・ルーム(シーグラム壁画)は千葉にある川村記念美術館に常設されています。
http://kawamura-museum.dic.co.jp/collection/mark_rothko.html

2011/09/07

魂の死

2011/09/01

眠る男

小栗康平監督作品「眠る男」を見た。

冒頭から、フレーミングが気になってしかたがなかった。なぜここにこれが映っているのか。まったく関係ないような電線や家財道具、看板。画面の奧で(撮影していることに気づいているかどうかもわからないように)ごく当たり前に人や車やバスが横切る。心象を伝えるような俳優のアップショットもなく、気がかりな言葉を残して唐突に絵が変わったりする。なにを書いているかよく見えない背景の看板、チラッとだけ見えている積み重なった洗濯機や、どこにでもありそうな橋や、見覚えのある山、空、雲、鳥。あらゆるものが偶然のようにフレーミングされている。多くの監督が排除しようとする事象を、あえて作為的に取り込んで、混沌とした大きな渦を、化学反応のように、ゆっくりと発生させているというのか、例えばなにもない青空に、魔法をかけて雲を発生させている実験を見ているような印象があった。

終始ただならない気配のようなものを感じていた。その気配とは別に、見覚えのある、どこか懐かしいような日本の風景が同時進行しているで、極個人的な思い出を取り戻しているしているような感慨もつきまとう。ふとゴチャゴチャしているなあ、と思っていたものが、ピタッと等価値になる瞬間がある。そこで人間とは世界の主役ではなく、ある一部分を形成しているだけ存在ということを気づかされる。でもちゃんと自然の一部として存在している。共存している。吹き飛ぶような芥子粒のひとつひとつに、物語と矜持がある。眠る男を枢軸にして、表と裏、あの世とこの世を逆転にさせた混乱が、さらにその物語を際だたせる。それを見せられて、引き裂かれそうな自分がいる。そんな自分を見透かしたように、男は、物語の終盤、ブロッケン現象に映る影に向かって「人間って、大きいんかい?小さいんかい?」と尋ねる。観ている自分も、あのときまさに、そう尋ねたかった。代弁してくれたような爽快感があった。ほっとするのと同時に、自分自身に問いかけられているという気持ちにもなる。虹の中にいるのは、自分の影だったことに気づかされる。問うてみたかったのも自分だが、問いかけられたのも、自分だったという矛盾が異界への扉を開き、世界が二重とも三重とも呼べるような存在であることの気づきによって、視界が開けたような快感に満たされる。

フレームの中に在るものすべてが、緻密に計算され、周到に準備されたもの、または無意識が呼び寄せた、本人すら気づいていない(のではないかと僕が思うだけ)、奇跡的な存在の集合体であることにはっきりと気づかされたのは、能のシーンだった。これはもう、僕には語れない。観て頂くしかない。人智を超えた恐るべき力の介在が、はっきりとここに見える。もちろんここだけではなく、恐るべき力は、物語のそこかしこに散りばめられている。「恐るべき力」の源泉のようにも見える、自然の摂理に逆らった「魔」のエネルギーを喚起させるような、ゆっくりと半時計回りに動く巨大な水車。唐突な鳥の声、台詞。女が森で対面する眠る男。鹿。吸い込まれる煙突の煙、蝿、竜巻。当たり前のように通るバス、車、人、電車。当たり前のような商店街、自転車置き場、民家。すべてに満遍なく愛情が注がれ、見逃してしまいそうな「当たり前」や「意味不明」や「どこにでもある」が説得力を放ち、そこから渦のようにして物語が紡がれる。だからこそ鑑賞する側の無意識に溜まった要素を浮かびあがらせたうえで、どこに行ってしまうかわからないような、風に舞う落ち葉のような気まぐれを追いかけているようなテンポが我(が)を誘い、そこはかとなく完結したうえで、そこはかとなく無限に向かって解き放たれ、極私的な物語となりえる。

僕はこの映画を見て、希望(希なる望み)とも言い換えることができるような、気高い負荷を背負うことができた。この負荷は、とても自分を逞しくしてくれる力だ。自分を根本から否定し、打ち砕き、とことんまで絶望させてくれたうえで、性根もろとも蘇らせてくれる可能性と勇気だ。その力は啓示となって、この先、大切な場面で僕に直接語りかけてくれるのかもしれない。今すぐではなく、忘れたころに。もしかしたら鹿の口を借りてかもしれない。もしかしたら雨音を借りてかもしれない。もしかしたら鈴虫の音を借りてかもしれない。「君が変わらずして、なんで世界が変わるはずあるんだい?」「おい、どうかしてないか?ちゃんと自分を信じろ」「大勢に迎合する必要がどこにある?」「よく考えろ。それが大事なことか?」「今ここに、なんで君は生きてる?なぜ君は死ななかった?」そしてグルグル回って、この問いに帰結することだろう。「人間って、大きいんかい?小さいんかい?」

それにしても心を揺さぶる作品は、いつだって大勢とか大多数とかの影に隠れて、まるで踏み絵のように、そこに至る過程に階段を仕掛けてあり、辿り着くその過程、そのものまでもが作品の中に組み込まれているような不思議がある。だからこそ恩寵であり、類い希なんだろうなあと思う。


風の旅人 編集だより 「人間は大きいのか、小さいのか」
http://kazetabi.weblogs.jp/blog/2008/04/post-2dcf.html

2011/08/27

生まれいずる悩み

昨日、ふと有島武郎の「生まれいずる悩み」という小説が無性に読みたくなって本棚を探したが、なくしてしまったようで見つからなかった。たえず物持ちを少なく、という習慣があるので、度重なる引っ越しの際に処分してしまったのだと思う。それでもどうしても気になって検索していたらネット上に公開されていたのでそれを読んでいた。http://www.aozora.gr.jp/cards/000025/files/1111_20600.html 

はじめて読んだのは美大に入学してすぐのころだったと記憶している。タイトルだけは心に残っていて、その内容を忘れてしまっていたのだけど、冒頭の「私は自分の仕事を神聖なものにしようとしていた」で始まる作者の懺悔のような独白から、「君」と呼ばれる画家志望の青年の複雑な心境を一瞬で伝える「どうでしょう。それなんかはくだらない出来だけれども」という言い回しまで読んだとき、この小説に書かれているすべてのことが、心太(ところてん)のように記憶の箱からするすると湧き出てきた。こうなるともう、読み進めることが既知の事項をただただ確認することだけになるのだけど、そういう確認作業をするシステマティックな脳味噌のどこかで、細くて、今にも切れそうな回路の糸が、もぞもぞとミミズのように蠢いているという、頭の中を掻きたくなるような、奇妙なざわめきというか、痒みのような異物感があった。

そして読み終えてしばらくしたあと、ある極私的な記憶が蘇ってきた。それは奇妙な偶然の一致の記憶だった。そして今になって唐突に思い出したその記憶のことを考えているうちに、そのときにはわからなかった、その偶然の一致の意味が解けた。自分にとってはとても大きな問題なのだけど、あまりにも極私的なことなのでここで言葉にして昇華するのは逡巡するのだけど、たしかに、たしかに、解けたのだ。それはようするに、その記憶とこの本の内容が、なんの関係もないように見えるのだけど、実のところ本人にはうまく把握できないような複雑な経路で絡み合いながら繋がっていて、「ふと」思いだす。という直観という形を借りて、そのほぐれが解けていったのだと思う。読中の妙なざわめきは、その糸が複雑な回路を辿るときに生じた胸騒ぎだったのだろう。

ふと思い出す、というのは、きっかけが必要だと思う。そのきっかけとは、直観という名前を借りているけど、その正体とタイミングはあらかじめ決まっていたような確かなもので、化学反応のような必然なのだと思う。その直観の火花が、潜在意識が淡々と流れていく日常から丁寧に拾い集めていた情報や言葉でできた、大きくて燃えやすい知識の無秩序な束に、火をつける。そして野火のように風を受けて広がった炎は、顕在意識に気づきを与えたうえで、脳内を焼け野原にしてくれる。野火は知らず知らずに溜まっていた洗脳をも焦がし、まさにこれから、という芽が広がろうとする、肥えた畑と可能性の種を与えてくれているような気がする。

この小説を始めて読んだあのときには、微塵も想像すらできなかったであろうことが、現実に広がっている。その現実の有り様そのものが、「きっかけ」の正体であり、タイミングなのだと思う。

すべてをなげうって芸術家になったらいいだろうとは君に勧めなかった。と述べる作者は、最後に「君」の背中を押さなかった理由をこう述べている。

「それを君に勧めるものは君自身ばかりだ。君がただひとりで忍ばなければならない煩悶--それは痛ましい陣痛の苦しみであるとは言え、それは君自身の苦しみ、君自身で癒さなければならぬ苦しみだ」

背中を押したその先が、生である保証はまったくない。むしろ、そうでないことの方が多いのだろうと作者は考える。そう考える冷静と刹那が、苦の中にこそ生があるという尊厳の細部を、漁民の生き様をしつこいくらいに描写するという形で試みているが、その試みが逆に、この小説全体に宿る、懺悔のような、祈りの気配を際だたせ、すっきりとした読後感や、単純な答えを拒んでいるように思える。現実には作者である有島武郎はモデルとなっている木田金治郎に、上京して絵の勉強をしようとするのを制して、故郷(北海道岩内)に留まって描き続けなさいと助言をしている、そういう事実もまた、興味深いものがある。

その夜、寝支度をしていたら、大きな虫の音が聞こえはじめた。やけに近いなあと音を辿っていたら、洗濯場に一匹の鈴虫がいた。毎晩聴いているはずなのに、そのときだけは特別な音色のように聞こえた。いつもとは違う心の在り方が、聴覚を狂わせたのだ。それはまるであの世からの呼び鈴のようだった。あの世とこの世が、すれ違ったような気がしていた。



2011/08/05

光明

高千穂に行った。なんとなく以前から気になっていた、聖地を一本の矢で刺し貫いたような直線、レイライン。鹿島神宮から始まり、皇居、明治神宮、富士山、伊勢神宮、吉野山、高野山、剣山を通るそのレイラインの終点に、高千穂はある。地図以外の情報を一切頭に入れないままに、なにも期待せず、導かれるままにその終点を目指していた。

バイクの野営旅で疲れはピークに達していたのだけど、国見ヶ丘の壮大な雲海に迎えられ、高千穂に入った途端にいつのまにやら疲れが蒸発して、躯が喜びはじめて元気が戻っていた。道の駅に辿り着き、看板を読んで神話の里だと知る。なんだろうこの雰囲気。大昔にここで栄えた、小さくて豊かな文明が確かにあったという説得力に溢れていて、それらを裏付ける遺跡群が丁重に受け継がれている。ここはどことなく偶然辿り着いたアトリエ、神山の風景に似ていた。細胞が喜んでいた理由は、その風光明媚による視覚情報の恩恵だけではなく、我が家に帰ってきたような単純な安心感で心が笑っていたのだ。

弾丸ツアーだったが、急ぎ足でひと通り土地を見て回った。やはりどこに行っても、ホッとする。気持ちがよく、知らない土地に懐かしさがある。もし自分が地図のない時代にここに辿り着いたのなら、この辺に家を構えようと試みたのかもしれない。温泉に入ったあと、路肩にバイクを止めた。太陽を隠した濃い霧が空一面に立ちこめ、すべてを一瞬にしてリセットしてしまうかのような力強い光明を放っていた。

むずかしいことはなしにして、とりあえず旅っていいなあ、と思った。




2011/07/26

千年

福岡県立美術館と石橋美術館、両館同時開催の髙島野十郎展を見に行った。野十郎の血縁の方とお会いして、原画も見せて頂いた。おそらく1920年前後に描かれた初期のものらしきその作品は、ヨーロッパ渡航直後に大量に捨てられた作品群の生き残りだった。渡航後に明るい色調に変わるので、作品を破棄することによって、それまでの自分から脱皮を計ったのだと思う。サインがなかったため出品されなかったらしいが、それはこの作品が未完成だったからだ。もしかしたら野十郎は未完の絵が世に出るのを望まなかったのかもしれない。しかし僕はこの絵に宿るエネルギーのほんの入り口だけでも、多くの人に見て欲しかった。だから血縁の方にお願いして、写真を一枚だけここで公開させていただくことにした。僕はこの作品に対して小さな責任を負うことによって、間接的にもっと野十郎に近づきたかったのかもしれない。

美術館に展示されているものではなく、本物の作品をこの手に抱いたとき、絵筆の先に集中する野十郎の背中がはっきりと見えた。それはとても鮮明だった。僕は絵を見ている肉体から魂が抜け出して、彼のアトリエを窓辺からそっと覗いている小鳥になっていた。

野十郎はいまだ謎が多い。今回、その謎を解き明かしたり、ますます複雑にさせる、新たに見つかった作品や写真が多くあった。今後、彼の研究が進み、知られていなかった作品も、もっと世に出てくると思う。彼が田中一村と並び、世に迎合せずに画業に邁進した、日本を代表する本物の芸術家であることは間違いないのだけど、今回の展示のように、新たな作品や写真が見られるのなら、僕はもっと多くの人に野十郎という名前を知って、作品に触れてもらい、彼の名を世に知らしめたいと思う。「そんなこと、どうでもいいんだよ」と天から彼の笑い声が聞こえるのだけど、油絵の特性を研究し尽くし、長持ちするためにさまざまな工夫を施して「自分の絵は千年は大丈夫だ」と発言した彼の隠された意志を、僕は千年先の人たちに紡いでいきたい。




2011/07/13

矛盾

真夏のような強い陽射しの午後、川で身体を冷やしていたら、鹿の角を見つけた。角とはいっても、頭頂部の骨がついているので、頭蓋骨だ。周囲からは絶対に見えない、川辺の窪んだ小さな谷のような場所にあり、ずっしりと重かった。角以外はなにもなく、おそらくは一ヶ月ほど前の悪魔のような濁流によって他の部位は流され、重い角のついた頭頂部だけが流されずに此処に留まったのだと思う。地元の人に見せたら、生え替わりに落とす角だけならよくあるのだが、鹿の骨は珍しいとのこと。また鹿は死に場所に水場を選ぶ習性があるという貴重な話を聞くことができた。食べられるくらいなら、流骨になった方がいいという本能なのかもしれない。あらゆる野生動物は年をとって身を守る力がなくなると、敵から見つかりにくい場所を探し、そこで身を隠して静かに死を待つという。

この話を聞いたあと、制作途中の油絵を見ていて、はっと気づかされたことがあった。この絵は崩れ落ちそうな巨木の根本にできた小さな洞窟に向かって、一匹のうなだれた鹿が歩いている背中が中心になっている構図だ。なぜこの構図に惹かれているのかよくわからないまま描き進め、描く前から「暗示」というタイトルをつけていた。題名が先に降りてきたので気になっていたのだけど、その謎が今回の鹿骨のおかげですっかり解けた。これは菩提樹を見つけた仏陀のように、渡世を彷徨ったあげくにやっと死に場所を見つけて、まさにそこで骨を埋めんと最後の力を振り絞る老鹿の背中だったのだ。とにかくその洞窟にさえ辿り着きさえすれば、悟りと永遠の安らぎを得て、死をもって大きく世界のシフトが変わりそうな予感がある。そういう此岸と彼岸の裂け目、まるで女性器のような天の岩戸を感じさせる半開きの時空のシンボルとして、多くの取材写真の中からこの構図を潜在意識が選びとり、水辺で風化しようとしていた鹿の骨が手がかりになって、顕在意識にまで押し上げられたのだ。

表現とは人間が生きるために最低限必要なことではない、という事実を、忘れないようにしている。百姓や漁師の方がはるかに尊いと思っている。未曾有の天災と放射能という人災は、ジャックナイフのような鋭さでその事実を、あらゆる角度から、表現に関わる人たちの喉元に突きつけたはず。それでもなお、意味などないはずの表現に理由をつけるとしたら、その人が、その人なりに、希なる望みを託し、それなしには生きていけないから、生きていたいから、死にたくないから、続けているのだろうと思う。僕はそうだ。それなのに老鹿の背は死を誘い、涅槃を暗示している。描かれたものには、ちっぽけな自分の意志など、まるで反映していない。そういうつじつまの合わない矛盾を見つめたときに、人知を超えた無限なる英知の介在を感じてしまう。




2011/07/02

写楽の猫

眉山の東、東光寺というお寺に東洲斎写楽の墓がある。ギリシャで肉筆画が見つかって研究が進んだことから、ほぼ阿波徳島藩の能役者である「斎藤十郎兵衛」が写楽の正体と確定して、この墓が写楽であることは証明されたのだけど、ずいぶん前から僕はこの墓が本物かどうかには興味がなく、関心はもっぱら写楽の墓に住む、人なつっこくて目つきの悪い三毛猫の方に集中していた。

世に出た写楽は姿を消したが、彼はただ斉藤十郎兵衛に戻っただけで、斉藤十郎兵衛が残した写楽という魔法は、見上げれば手に届きそうな距離で、今もなお星のように輝いている。十郎兵衛は本当に幸せな人生を送ったのだなあ。人目を気にせず、すやすやと眠る写楽の化身を見ていると、そう思わずにはいられなくなる。


追記

2011年11月20日、いくら探しても、写楽の猫はいなかった。住まいにしていた小屋もなく、お寺の隅に手作りのお墓があった。大きめの阿波青石をぽんと置き、そのまわりにぐるりと小さな石を並べて苗を植えただけの、素朴で可愛いお墓だった。墓石にはなにも書かれていなかったし、住職に聞いたわけではないのだけど、この石の下に写楽の猫がいることはすぐにわかった。もし僕が飼い主だったら、これとまったく同じような墓を作ったことだろう。

どうしてもお墓の写真を撮りたくて、我慢できなくなったので、一枚だけ撮らせてもらった。あとで見たら、写真の右上に、大きなぼんやりとした影が映りこんでいた。僕はこの影を、三毛のものだと直観した。最後の挨拶に、降りてきてくれたのだ。この世に姿を見せることができないから、こっそり木陰でも利用したのだろう。本当に嬉しかった。

近くにあるなじみの画材屋さんに行ったときは、必ず東光寺に足を伸ばした。はじめて逢ったのは、真夏のひどく暑い日だったと記憶している。二年前か三年前、そんなもんだったと思う。写楽の前で手を合わせていると、とぼとぼと足元にすり寄ってきた。片眼が半分つぶれて、ひどく目つきの悪い猫だなあと思ったが、とても人なつっこく、離れても離れても、とぼとぼついてきて甘えてくる。年のせいか、歩くのがしんどそうだったので、何度も何度もなでてやって、これでおしまいさようならと手を振ったものだ。

今年の夏は日陰で休んでいた。僕に気がつくとすり寄って出てきたが、墓前の水を頻繁に飲み、直射日光が痛そうに思えた。長生きしろよと思ったが、初秋にもう一度逢って、それっきり先に逝ってしまった。



再追記

2013年1月18日、図書館に行ったついでに隣接している王子神社へ。ここは「猫神さん」の愛称で親しまれているところで、実際に人なつっこい黒猫がいる。その子を触って遊んでいたら、後ろの藪(やぶ)のなかからミャーミャーと鳴き声が。声は聞こえど姿はあらず。よくよく探したら、目に傷を負った子猫が隠れていた。寄ってはこないのだけど、こちらに向かって、なんどもなんども鳴いている。この子は写楽の猫の生まれ変わりだと確信した。魂にこんにちは。また逢えてうれしい。



再々追記

2015年9月5日、最近よく三毛猫を見かける。もしかしたらずっとそばにいたのに、気づかなかっただけなのかもしれない。警戒心は強くて、近づくと離れていく。目つきが悪くて、そこがまたかわいい。あれは三代目、写楽の猫の生まれ変わりだろうと思う。根拠はなくても信じられる自由がある限り、たとえ肉体は消滅しても、永遠の命は続いていく。







2011/07/01

月兎

近隣さんのご厚意で借りた畑に撒いていた菜っ葉と大根とほうれん草の種が最近になって芽生えてきたのだけど、半分以上、いや三分の二くらいが芽生えてすぐに虫に食われて死んでいた。特に無農薬にこだわったわけではないし、手入れしなかった自分も悪いのだけど、散々な畑を見ていると、農薬なしで植物を育てるとはこういうことか、と否応なしに実感させられた。それでも最初の葉をおとりにして、何枚も食べきれなくなるくらいに生えてしまえと言わんばかりに新葉を伸ばす種がいて、そういう逞しい種を見ていると、食べる前から元気をもらったような気になる。


なんとなく穴が空いた一枚をもぎ取り、青空を透かせて見ていたら、ただそれだけのことで、なにものかに心を奪われたような、放心して、自分がちりぢりに砕け散ってしまったような気持ちになってしまった。急に視界がプラネタリウムのようになったので意識が驚いただけなのかもしれないが、無意識の方に静かに訴えかけるなにかが、確かにあった。心を奪うものには、言葉を超えた広がりがあるのだから、本当はこれ以上なにも語るべきではないのだろうけど、新葉のために、また、お腹を空かせた虫たちのためにボロボロになった葉を見ていると、その無惨な姿に、利他心、自己犠牲の精神を投影せずにはいられなかった。今昔物語に出てくる逸話、帝釈天が化けた老人を助けるために、火の中に飛び込み、自分の体を食べさせようとした「月兎」のような、捨身。死の美学。もともとそういう美学が内包されているから、心を奪われたのか、心を奪われたから、美学が紡がれたのか、どちらが先なのかは、よくわからないのだけど。とにかく自分のちっぽけな価値観を揺るがす月の兎が、一見無駄死にの、この穴だらけの暗幕の奧に見えたような気がしたのだ。