2017/04/29

太古の記憶

ずいぶん前に自分で作った家具を、薪にしようと庭で輪切りに切っていたら、強烈な香りが漂って、驚いた。しばらくして、それがクスノキだとわかったのは、たまたま描いていた、大楠の木炭画の前に置いたときだった。よく似ているなあと思って、模様を調べたら、やっぱりクスノキだった。

楠のこの独特の香りは、古くから天然の 防腐剤として利用されたり、強心剤としても使用されていたため、それらの用途としてはほとんど用いられなくなった現在でも、「駄目になりかけた物事を復活させるために使用される手段」を比喩的にカンフル剤と例えて呼ぶことがあるらしい。「臭し(くすし)」、「薬(樟脳)の木」が、「クス」の語源だと言われている。

「駄目になりかけた物事を復活させるために使用される手段」

たしかになにかが、復活するような香りだ。眠っていたなにかが、むくっと立ち上がる

切った覚えはないので、たぶん拾ったか、もらった木だと思う。この小さなクスノキと大きなクスノキの出会いは、本人も気づいていないような、無意識の世界で進行した。もう香りはほとんどしなくなってしまったけど、木のなかには記憶が眠っている。

木や石は、深く眠っている。瞑想をしていて、なにかを考えている。そのなにかが、無意識に働きかけている。

嗅覚は五感のなかで、唯一大脳新皮質を経由せずに、記憶や感情を処理する部位にダイレクトに接続しているらしい。たしかに匂いを感じるときと、なにかをフワっと思い出すときの感じは、よく似ている。

でも嗅覚が思い出す記憶は、限定された自伝的要素だけだろうか。個人的な時間を超えて、終わりのない旅を、逆走しているような気持ちになることがある。

人間は見たいように物事を見る。そんな不自由な人間に対して、ただ其処に在るはずの自然が、手を使わずに自分を動かしているような気がする。覚えていない思い出が眠っている、無意識の海へ。

楠の香りは夢のように、太古の記憶を呼び起こす。

 

0 件のコメント:

コメントを投稿