2016年最後の夜、ジャン・ジオノの木を植えた人を読んだ。
「この人と一緒にいると、心が落ちつく」
呼吸をするように燃える薪の炎が、木を植えた男のイメージと重なった。
「人間は破壊するばかりの存在というわけでもなく、神に似た働きもできるのだ」
ジャン・ジオノの木を植えた人は、戦争の影響をまったく受けなかった。彼が実在するかしないかは、問題ではないだろう。ジャン・ジオノの木を植えた人は、自分の心の中にいる。
明けて2017年、初詣は宇佐八幡神社に、そのまま明王寺に行って、大楠と桜の縁を結んだ。まるで花道のように、道中でいくつものケセランパサランを拾った。明王寺で引いたおみくじには
「わがおもう 港も近く なりにけり ふくや追手の かぜのまにまに」
とある。風に守られているようで、ホッとする。
神社の鳥居の下に落ちていた、白く輝く小さな綿毛。季節が変わる頃に、この美しい羽根は、桜の花に生まれ変わるだろう。
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