2016/09/30

彼岸花

彼岸花が満開になった。うちの周りはなぜだか白が多い。白い彼岸花の花言葉は「想うはあなた一人」「また会う日を楽しみに」。

ある日、誰かに根こそぎ持っていかれたらしく、散歩道のすべての白い彼岸花があった場所には、いくつもの穴が開いていた。花は自分で移動することができないから、人間を誘惑して、もっと広い場所に引っ越したのだろう。

すこし寂しいのだけど、国道からは見えない、急な坂道のてっぺんにある小さな野原の、白い彼岸花だけは無事だった。目立たない場所でこっそり咲いていた花々は、止まることのない川の流れを見下ろしている。国道からは見えないこの場所なら、花は安心して咲くことができる。小高い山路の白い花々の佇まいには、土地神さまに選ばれたような特別な雰囲気がある。

誰からも見えないようなキラキラした場所に、内なる花は咲き、精霊は宿る。白い彼岸花が咲く頃だけは、いつもの散歩道を延長して、この坂道を登ることにしようか



2016/09/03

霊性と礼節


「人間の進歩にとって特別重要なのは、畏敬の感情を持つことである」rudolf steiner

暑い日は頭がぼぉっとして制作がはかどらないけれど、ギラギラした山川草木から霊感を預かることができる。ヒグラシの波が夢と現実の境目を消すと、彼岸から思い出が歩いてくる。

どうやらコオロギが家に迷いこんでいるらしく、暗くなると鳴きはじめる。淋しそうなので逃してやりたいのだけど、どこにいるのかよくわからない。何処にあるのかよくわからないような記憶が、真夜中を淋淋と歩いている。

ある日、いつもの瀧の入り口に、東京ナンバーの車があった。道中でなんとなく感じていたイメージが、的中した。瀧の手前の巨石の下で、家族がピクニックをしている。水着の子供がスイカを食べている。たぶん泳いだあとだろう。いつも手を合わせている瀧壺の前には、派手な浮き輪が重ねておいてある。楽しそうにスイカを食べているその岩場は、以前、崖が崩れた場所のすぐそばだった。

場所には雰囲気というものがあり、土地にはそれぞれのカミサマが宿っている。行者が瀧に打たれたり、お不動さんが怖い顔をしているのには理由がある。この瀧壺には、命を預けている人しか入ってはいけないような神聖な気配がある。それがこの家族にはわからないのだろうか。自分のことだけしか見えてない。気持ちよく泳げる場所ならここに来るまでにたくさんあるのに、計画を変更できない。目的に縛られている。

よくもまあこんな美しい場所で、浮き輪で泳いでスイカ食べてなんて発想が出てきたなと思う。一目惚れしてしまって、なんどもなんども数えきれないほど通いつめて、そうやって大切に育ててきた瀧との絆が、遠方からやってきた無神経に汚されたような気がして、夏休みだからまあいいじゃないかとは、思えなかった。

頭に血が昇っているから、腹を立てたわけじゃない。同じ人間だから哀しかった。遠方から美しい場所を求めて余暇を過ごすのは、ほんとうに素晴らしいことだと思う。ただ視点が一方向だと思う。自分が、自然を、見ている。だから霊性から切り離されて、目に見えないことに気づけない。

地盤が脆いこと、谷が深いこと、流れが強いこと、すぐそばでマムシが生活していること、子供が泳ぐには危険が多すぎること。霊性が途切れると、そういう周りの機微を、感じることができなくなる。だけど瀧は自分だけのものじゃないのだから、長居をせずに山を下りた。

山を下りながら、そこはかとなく哀しい気持ちになっていたら、そんな小さなことを気にするなと、水の精霊に話しかけられたような気がした。この声は、おまえにしか聞こえないから。と精霊は言った。かつてこの瀧で心身を清めた行者や、水を飲みに来た獣なら、この沈黙が聞こえたのかもしれない。