2012/01/28

風雅

年始から善通寺市に通っていた。一日だけ参拝する機会に恵まれ、善通寺、曼荼羅寺、出釈迦寺と廻り、その帰り道に見事な白雪に巡り会い、滞りなく、美しき一日を過すことができた。

今年は1月1日から、天空から落ちてきた一滴一滴(ひとしずくひとしずく)を、子供のような視線で注視して、点を線で結んで遊んでいるうちに、知らぬまに人間の外へ導かれていくような風雅な日々を過ごさせてもらっている。

新年早々、世の中はいろんな世界が重なって合成された世界なのだなあと、身をもって感じさせられた。

われ諸法を観るに、たとえば幻のごとし。すべて是れ衆縁の合成するところなり。
(この世のすべては幻のようなもの。すべては多くの縁によって生じた仮の姿である)
「空海」性霊集より

すべてのものに実体はなく、物質も肉体も現象も、すべては因と縁で生じたかりそめの姿。縁が先に生じて、因を成すこともあり、見ていると思っていたものに、ほんとうは見られているのかもしれない。かりそめだからこそ、見えてくるものがあると思う。人生を投げ捨ててしまいたいような絶望や、世の中からはじきだされたような疎外感の中にいてこそ、すべて幻であるという刹那が、世を未来から見通す達観として生に息づき、視界を広げて自分のできることを推し量る絶好のタイミングに成り得るのだろうと思う。

2012/01/21

人間の舟

炎がピタリと静止したような、不動明王の憤怒の表情を見ていると、眺めているだけでは抑えられないものが心の奥から沸いてきて、素描せずにはいられなくなる。幼い日を思い出しているような初々しいこの気持ち。このへんの感覚が、自分にとっての表現の初心、ルーツなのではないだろうか。怒りもまた、仏性。鬼もまた、仏の化身。たとえば落石の下敷きになった人が目の前にいる。助けたいと思うのが慈悲、仏心。しかし穏やかな優しい気持ちだけで、その重い石を取り除くことができるのか?本当に彼を救いたいのなら、迷いなく憤怒の形相に化身して、手を汚してその石を動かさなくてはならない。

森の奧に静かに鎮座する、巨木のような仏像を見ていると、眺めているだけでは抑えられないものが心の奥から沸いてきて、素描せずにはいられなくなる。自然に畏れ(おそれ)と憧れを抱いていた幼き日を思い出しているような、粛々としたこの気持ち。このへんの感覚が、自分にとっての表現の愛心(まなごころ)ではないだろうか。抑えられない怒りの奧にあるのは、きっと仏心。穏やかで、なにがあろうとも動じない、静かな大海があり、その海に方向性があるからこそ、その表面はときに化身となって荒ぶる。

その荒ぶる波のせいで、人間の舟が転覆することもあるのだろう。そこで私とあなたが海に投げ出される。舟は完全に沈み、二人の躯は衰弱していく。死を目前にして、小さな浮き輪が突然目の前に流れてくる。一人なら、助かる。二人なら、沈む。そこで私(あなた)はどうするか。誰も見ていない場面で、どうするか。望んで身を沈めるか、それとも浮き輪を奪い合うか。あなた(私)が親でも子でもないとしたら。私(あなた)が許せないような悪人だったとしたら。内なる仏性は、普段の日常に潜む、このような場面の中で日々、試されているのだと思う。ときには鬼に。ときには菩薩に。

仏も鬼も、どちらも自分の中にいて、理不尽に、矛盾しながら、共存して、揺らいでいるような気がする。高島野十郎はベトナム戦争もまた、慈悲である。と言った。僕はまだ、この言葉をわかったようなわからないような、中途半端な気持ちでいる。



2012/01/04

人間の箱

ずいぶん前から透明のアクリルBOXに絵の具を入れている。透明の箱には、大小さまざまな色の絵の具が所狭しと詰め込まれていて、外から見ていると、まるで色彩を運ぶカラフルな満員電車のように思える。この美しい乗り物は、どの駅で停車して、どの色が降りて、最後にはどこに辿り着くのだろうか。そんな銀河鉄道を見ているような、夢心地にもなってくる。

人間とは、世界とは、このような箱の中に存在しているのではないだろうか。自己という箱の中に。

一度きりの人生だから、やりたいことをやりなさい、好きなことをやるべきだと、まわりの人は個性を押しつけて、「私」はそれが個性的であり、本当の自由だと思ってしまう。「私」が力めば力むほど、「私」の箱は強固になっていく。やがてその箱を守るためには、どんなことでもするようになる。表現という名の下に、作品を綺麗な箱に収めて飾り、麻薬のような喝采のシャワーを浴びて安心する。しかしその声が消えたとき、「私」は一瞬だけ箱の存在に気づいて、心底脅える。だから繰り返す。「私」の箱が壊れてしまわないように。ほんとうのことから目を背けるために。夢の中では喝采が木霊している。反響に目を覚ます。そうやって麻痺していく。自由を手に入れたつもりが、自由からどんどん遠くなっていることに、気づかなくなる。それはとても、哀しいことだと思う。

一度きりの人生だからこそ、自己の箱の中に入っていないものに手を伸ばせばいい。まずは自分を疑うことからはじめて、やりたいことや好きなもの、箱の中に詰め込んだものを、全部捨ててしまえばいい。大勢の意見なんか聞かずに、人を頼らずに、箱の外を感じさせてくれるものを、自分の目で探せばいい。衝動が沸いてきたら、従えばいい。やがて楽観と達観に包まれて、未来を予見する兆しが訪れてくれる。やりたいことや好きなことなんか吹っ飛ばしてくれるリアリティがやってくる。忘れたころに、向こうから。そう思う。

                           ★

今日は朝から大雪だった。強い風が吹いていた。鮎喰川から粉雪が舞い上がっていた。下から上へと。下から上へと。下から上へと。下から上へと。