2014/04/10

地主神

夜のジョギングのときに、見ていられないポイ捨てゴミは、拾って持って帰る。犬が拾い食いする可能性もあるから。

正直、なんでオレがと思う。捨てたやつが拾えと思う。

だけど、しばらくして、夜更けた暗黒のときに、しんみりと考えさせられる。その静けさのなかに、ふっと土地の神さまを直観する。あ、そばにいるな、と思う。

住ませてもらっているし、描かせてもらっている。


そういう恩義を、風景に対して感じている。だから、なんでオレが、というささぐれだった感情は、自然に、ゆっくりと違う形の、おだやかなものに変容する。そのゆるやかな内なる曲線こそが、土地の霊力であり、神の音ずれなのだと思う。

『内外の風気わずかに発すれば、必ず響くを名づけて声というなり』 空海

『恩寵とは、下降運動の法則である。自分を低くすることは、精神的な重力に反して上っていくことだ。精神的な重力は、わたしたちを高みへとおとす』 Simone Weil




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