2016/01/24

冬梅


『現象における自由は美と同一である』シラー「美と芸術の理論(カリアス書簡)」より

春になったら描こうと思っていた、梅の樹の前に、三つの穴があった。イノシシだろうか。ちょうどその真ん中の穴の位置から見る梅の姿が、もっとも力強く、美しい。誰にも言わなかった秘密が、獣によって掘り起こされていた。はやく来いと急かされたような気がして、イーゼルを立てた。

梅の前にイーゼルと椅子を置きっぱなしにして、朝の写生にはカムイを連れていった(空はまだ寝ている)。でも寒空の下で、無理やり付き合わせるのも、可哀想だなあと思って、一人で出かけようとしたら、珍しく激しく吠えて、抗議した。家から遠吠えがいつまでも聞こえていて、鳴き止まないのがいたたまれなくて、引き返して一緒に出かけた。寒くても外が楽しいんだよな。

カムイはすぐに三つの穴を掘り起こしはじめた。アイヌの神話によると、神の国は地下にある。犬だけは下方の世界から来た人間(魂)が、ぼんやりと見えるらしい。匂いがするから掘っているのだろうけど、あの世への入り口を、探しているような趣があって、頼もしい。

この梅の樹を植えたおばあさんは、ずいぶん前になくなったらしい。この梅の樹も、隣の空き家の寒椿も、主がいなくても咲き続ける。その人がいなければ、そこに咲くことはなかった。でもその人がいなくても、毎年健気に、花は咲く。自由に、自然に、ただそこに存在している。

タンポポが風に運ばれるように、自然にそこにたどり着いて、自立してる。周りを気にしたり、妬んだりしない。流行に振り回されたり、宇宙について考えたり、あれこれと深読みして、空回りする人間よりも、既に真実を知っている、という落ち着きのある顔をしている。でもなにも教えてくれない。聞いても答えてくれないから、描いているのだと思う。


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