2011/04/07

空即是色


震災以後、なんだかよくわからない衝動にまかせて作りはじめた苔玉。今日、44個目を作った。毎日霧吹きで水をあげていたのだけど、一週間以上前に作ったものはほぼ全滅に近い状態で、枯れはじめている。あわてて4月1日から撮影しはじめたのだけど、初期に作ったものはすでにこのような状態だった。しかしほんとうに気を遣って、マメに手入れしていれば、こんなふうには絶対にならないだろう。ようするに自分は、創ることそのものが即ち目的。故に植物を枯らしてしまうタイプの人間なのだ。できてしまえば、それでおしまい。気持ちよくなってしまえば、それで終わり。日常のあれこれに気を取られて、枯らしてしまう。それでも作ってしまう。こだわってしまう。枯らすとわかっていて作ってしてしまうからには、このことについて考え、語る必要がある、と思った。


【空即是色】 目に見えないエネルギー(空)を、目に見えて、触れられるものに(色)に、変えざるを得ない想いというものの正体は、ほんとうに「なんだかよくわからない」。それを「創造」というのなら、創造とは常に破壊的で、とらえどころがなくて、出口がいくつもあり、目隠しをした暴れ馬みたいだ。僕は森で拾ったごくわずかな質量の目に見える物質(色)を、その「なんだかよくわからない」力を加えて、膨大なエネルギーの塊(空)に変換しようと、試みているのかもしれない。


僕が目に見えるようにせずにはいられなかった、震災以後に充満して、柔らかく広がり続けている、その目に見えないエネルギーとは、目に見えるはずのものが、目に見えない状態になっていると
いう矛盾を抱えた放射性物質のようなものとは対極にある、自立した、植物を枯らさないタイプに漂う、気高いエネルギーだと思う。できあがったものを見て、自分が作ったような気がまるでしないので、そう思うのだ。はっきりとその正体はわからないままなのだけれど。そう思う。




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