2012/05/01

空海の泉

昨日、樋口のじいさんに剣山の御神水を自慢したら「わざわざそこまでいかんでも、近くに美味しい水がある」と言われた。この地の水が枯れたその昔、下(しも)の方までわざわざ水を取りに行っていたおばあさんを不憫に思った通りかがりの弘法大師様が、神通力でわき出したと言い伝えられている秘水があると言う。

さっそく今朝、そこに行ってきた。歩いて20分ほどで、看板もなにもなく、地元の人にしか絶対にわからないような場所だった。その小さな、苔むした、美しい泉に、心を奪われた。デジャブに似た、ひどく懐かしい気持ちになって、その原因はすぐに解けた。

この泉にとても心象の近い絵を、油絵をはじめた当初に描いていたのだ。僕は泉や瀧を描きながら、油絵の技術を身につけた。最初のモチーフは瀧(たき)と決めていた。技術を学ぶのが目的だったので、構図などおかまいなし、大きなサイズの画布には、わざわざ分割してたくさん描いた。それから森にモチーフが移行したのだけど、今になってまた、他のシリーズと平行して、瀧を描きはじめている。モチーフは展開ではなく、回転している。広がっていくのではなく、輪廻している。

さきほどの懐かしみを忘れないうちにと、今、この文章を書いて、記憶を記録している。
こんなふうに、何周も何周も、繰り返し、懐かしみ、また繰り返し、私というひとつの物体は、ある大きな球体のうえを歩いている蟻の行列の一匹として、存在しているのではないだろうか。懐かしく思うのは当然で、それは既に歩いたことのある道だから。もちろん今生ではなくとも、過去や未来を超越した存在の記憶として、たしかに受け継がれていく風景があるのだと思う。





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