2012/05/06

一心不乱


熊蜂が好きで、よく観察している。飛び方が好きで、調べてみるとおもしろくて、まだレイノルズ数を計算に入れていなかった昔には、航空力学的には飛べるはずのない、ずんぐりむっくりの形なのに、なぜか飛べているということから、不可能を可能にする象徴であり、その飛翔が奇跡とされていた。レイノルズ数というのは空気の粘度のことで、たとえば人間が床の上でいくら平泳ぎしても、ちっとも前に進まないが、水中では粘度があるので進むことができる。飛行機のような大きな形のものには、ほとんど無視できる数値なのだけど、熊蜂のような小さな虫にとっては重要な力学で、そもそも彼らにとって空気はサラサラしたものではなく、水のようにネバネバとまとわりつく存在なのだ。このネバネバした空気。通用されている力学に洗脳されている状態では、想像すらできない。

人間の歴史のなかにも、不可能を可能にしている人がいたり、なんだかよくわからないけど、すごい、ということがある。よくわからないこととは、よくわかっていない方に原因があるのだと思う。不可能を可能にしている人や、グッと来る事象のまわりには、レイノルズ数のような、未知の力学が作用しているのではないだろうか。不可能を可能にしている人の作品や、なんだかわからないけどグッとくる事象のまわりには、通常の力学では計り知れない、別の空間が発生しているのかもしれない。そういう計算式を知らない地点からは、その空間(磁場)で起こる出来事は、奇跡にしか見えないのだけど、じつは観測者も、その空間をどこかで体験していて、だからこそ、呼応して、感応して、思い出している。

                            ★


熊蜂の魅力は、人間をまったく意識していないところにある。近づいてもまったく逃げないし、手でつかんだりしないかぎり、絶対に刺さない。そもそもオスには針すらない。ただただ蜜を集めたり縄張りを守ったりしているだけで、そのずんぐりむっくりの体のせいで、壁にあたったり、網戸なんかには平気でぶつかったりする。そういう一心不乱な姿に惹かれてしまう。愛くるしい

別の空間を創り出してしまうそのエネルギーとは、この一心不乱の気流ではないだろうか。その磁場を唯一流通できる粒子こそが、光より速いのだと仮定すると、観測して、数値に置き換えることは、永遠にできない。だからありのままの自然として、ときには芸術として、銀河の断片として、星屑の理念として、受け継がれているのかもしれない。ことごとく無視されて、まったく相手にはしてくれないけど、熊蜂は、このような深遠なる惑星の法則、その方程式の手がかりを教えてくれる。これから人として学ぶべきことは、分厚い専門書にではなく、ささやかな日常にありのまま、あふれている。




0 件のコメント:

コメントを投稿